オムネク・オネクについて

■オムネク・オネクについて(私が翻訳した自伝等の著者)

オムネクが本物の金星人かどうか、私には断定はできませんが、本の表紙写真を見た際に不思議な懐かしさを覚えたのは事実です(本人からは過去世で家族や友人だったと言われましたが、私にはそこまでの記憶はありません)。しかし、彼女が現在に至るまで、お子さんたちやお孫さんたち、そして周囲の多くの人たちを常に気にかけている心優しい女性であることは確かです。

ただ、彼女の伝えるメッセージに関しては、私が個人的に信頼できるのは1990年代の半ばまでです。それ以降のメッセージは、いわゆるノイズが入ったものであると感じています。実際に彼女は地球に宇宙船でやってくる前に、同胞のマスターから、「自身の素性を明かすまでは、地球における他のUFOや宇宙人の情報に触れないように。それに影響されると、伝える内容が正確ではなくなってしまう」と警告されていたといいます。彼女が世間に素性を告白したのは1991年です。

私が自身の翻訳書で紹介している彼女の言葉の大部分は1990年代半ばまでのものです。では、古いメッセージだけを紹介しているのかと思われるかもしれませんが、私の感覚では、彼女の初期のメッセージは常に新鮮さを失わないもので、それ以降のものは地球の流行に影響されたものに感じられます(実際にそうであることも実証できます)。

翻訳本のタイトルや帯の文句は出版社が決めるため、私としては不満が残るものですが、1990年半ば以前の写真が表紙に使用されていたものに関しては、前述した理由から、真実味のあるメッセージを伝えていた時代の写真で良かったと思っています。もちろん現在でも優しい表情をしていますが。

彼女が「アセンションしたアストラル次元から、体の波長を物理的な次元まで低下させて宇宙船で地球にやって来た」という話が信用できないという人たちが挙げる理由として、「物質レベルの煩悩を卒業(解脱)した高次元から来た人が、地球社会や人間社会で振り回されて苦労するはずがない」というものがあります。彼女の出自の真偽はともかく、私はアストラル次元とは、まだまだ未熟な下層世界に過ぎないだろうと推測しています。悟りを開いた聖者たちの世界などではないはずです。

スピリチュアルの世界には、「覚醒した人」「悟りを開いた人」と称する人たちや、そのように尊敬される古今東西の聖者たちが存在しますが、私はあまり信用していません。その理由は、食べ物にたとえて説明すると分かりやすいかと思います。

生ものは腐りやすいので扱いが大変です。乾燥果実(ドライフルーツ)は完全無欠の栄養食で、常温で長期保存ができ便利ですが、生の果実の代わりにはなれません。水分を抜くことは、感情や情緒といった不安定な要素を排除することです。

自然界に無駄なものはありません。煩悩とされるものは、排除するのでなく、それと共に生きて消化していくことが必要です。世俗から離れて煩悩を排除し「悟り」を得たという人は、ドライフルーツの健康食を作り出した人に過ぎません。それはゴールへ早く到達したいがための禁じ手なのです。本物の料理人は生もので勝負しなければ失格です。

私が「悟りを得た」と自称する人たちを信用しないのは、生ものから水分を抜いて完成された人に過ぎないからです。それとは対照的に、宮沢賢治は、この世の中の全ての人たちが幸せにならない限り自分の幸せはないと言いました。幸せとは悟りです。身の回りの誰かが不幸せでいるなら、それは自身がまだ悟りきれていない未熟者である証でもあるはずです。ですから、自分の未熟さを正直にさらけ出しているという点でも、私はオムネクの人間性が信頼できるように感じているのです。

余談になりますが、この地球社会で生きていく中で、お金というものはその人の人間性を示す一つの物差しにもなりえます。オムネクは、私に対して、最初の翻訳の企画を申し出たときから、お金について条件を言ってきたことは一度もありません。「貴方を信頼するので、すべて任せます」と言っただけです。印税についても、経済的に困っている子供たちに全額をそのまま渡していることが何度かありました。読者の方々には見えない背景ですが、愛とか光とか綺麗な言葉で日本で多くの印税を稼いでいるスピリチュアル世界の著名人には、非常に強欲で傲慢な人たちがいることも私は知っていますので、オムネクがお金のために何かをしている人間ではないことだけは保証できます。