小聖と大聖

『小聖は山に篭(こも)り 
大聖は市井(しせい)で人と交わる』と言います
つまり
人里離れた場所で瞑想などをして自らを高める聖者と
街中で人々と接しながら普通に暮らす聖者です
前者はまだ器が小さく 後者は大物なのでしょう
よく 「存在しているだけで影響力がある」 と言う人がいます
そういう人は 山に篭っていても 街中にいても世界に影響を与えるのでしょう
「私は存在していることで世の中に貢献している」 という人もいます
そのとおりだと思います
しかし どこに存在するかで その本質も問われるかもしれません
静かな山中と 騒がしい俗世間では 周囲の環境が大きく異なります
ブルース・リーは平常心を養う訓練として
イヤホンで片耳に工事現場の大騒音を聴かせ
もう片方の耳には水滴が落ちる微かな音を聴かせ
やがて水滴の音だけに心が集中するようにしたそうです
本物の聖者がいるとすれば
その人は聖なる山などではなく
喧騒と情念が渦巻く下界の真ん中で
凡人のふりをして生きているのではないか
僕はそう感じます
真の聖者は
ただ 「存在する」 だけで良いとは思わず
かと言って他人を 「救おう」 とも思わず
ごく自然に触れ合いながら日常生活を過ごす
そんな人ではないかと思うのです
もし
弘法大師空海が 旅の道すがら
路上で飢えた人と出会ったとしたら
その面前でお弁当を食べて相手にも満腹感を得させようとはしないでしょう
かといって
その人を救ってやろうとお弁当を与えることもしないでしょう
たださりげなく 相手の意思を尊重して
友に声をかけるように尋ねることでしょう・・
「食うかい?」
※写真は高校時代に描いたブルース・リーの絵

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