12・12・12

僕の母方の遠い伯父に 若くして亡くなった文学青年がいました
作家を志していた彼は東大の文学部へ進む予定でしたが
「医学部に行けば徴兵は免れるから」との母親の強い願いを受け入れて
長崎の医科大学へ進学しましたが
その直後に投下された原子爆弾によって帰らぬ人となりました
母親は自らの判断を深く後悔し
悲しみのあまり どうしても現場を訪れることができないまま他界しました
伯父は多くの兄弟姉妹から深く慕われていた人でした
子供どうしで喧嘩をしている時でも
伯父が帰ってくるだけでなぜか自然におさまったといいます
それは彼に威厳があったからではなく
誰もが気持ちに余裕のなかった戦時下の苦しい生活の中であっても
伯父はいつもまぶしいほどに爽やかであったそうで
味気のない貧しい食べ物でも
「こんなにうまいものをどうしてみんな食べないかな~」
などと言っていたそうです
彼の妹は 面倒見のいい優しい兄を振り返って
「兄さんの『俺もう頭きちゃったよ!』という声は耳に残ってるのに
どうしても怒った顔が思い出せないの」
そう不思議そうにつぶやいて遠くを見ていました
伯父と共に彼の親友の青年も亡くなりました
彼らに影響されて文学を始めていたもう一人の親友が東京にいました
その青年は伯父たちの死に大きなショックを受け深く哀しみ
毎年 命日には一輪の白い菊の花を持って母親を訪れたといいますが
「○○君にだけはかなわなかった」と伯父の文才を称え
他の人たちへもしきりに
「○○君は自分よりも文学の才能があった」
そう言ってくれていたそうです
あるとき彼は真新しい本を持ってきて
「こんど僕が出す小説です」と言ってプレゼントしてくれたそうですが
それが後に芥川賞を受賞する吉行淳之介の作品でした
長崎の原爆は 当初は北九州の小倉に投下される予定だったそうですが
当日は曇天であったため 急遽長崎へ変更されたそうです
実はその日は小倉には僕の父方の親族がいました
もし小倉に原爆が投下されていたら 
後に僕の父と母が出会うこともなかったでしょう
数年前に父が事故死した後に
夢の中で長崎に生まれ変わっている父と出会いました
父は路面電車に僕を乗せて市内を案内してくれましたが
長崎に路面電車があることは後日友人に聞いて初めて知りました
僕が知っていたのは 長崎の人はファーストネームで呼び合うため
「欧米か!」とよく言われていることだけです ← それは「名が先」だろ!
さらにその頃 見知らぬ女性からメールをもらいましたが
その人は長崎の助産婦さんでした
今これを書きながら思ったのですが
もしかしたら父は 
かつて自分たち一族の身代わりとなったくれた長崎の人々に
何か恩返しがしたかったのかもしれません・・
晩婚だった父と母に授けられた命として僕は広島に生まれました
幼い頃から 戦争のない平和な世界を望む気持ちがあったせいか
大人になった僕は友好平和のための小さなNPOを作りました
法人登記する日は 語呂がいいので平成12年12月12日にしました
つい最近知ったのですが 伯父の誕生日は大正12年12月12日でした
それから僕は知人の本にタヌキのイラストを提供したのですが
これもつい最近知ったのですが 
伯父はいつもタヌキのイラストを描いて皆を笑わせていたそうです
かと言って 僕は伯父の生まれ変わりではないと思います
彼はとても温厚で優しい人でしたので
穏やかな表面の奥に激しさを持つ僕とは魂が違っているようです
ただ伯父は妹や弟たちを守る時は恐れを知らない毅然とした態度を見せたといいます
そう言えば僕もふだんは自分でも穏やかで静かな性格だと思うのですが
どんなときに激しい性格に豹変してきたかを思い起こせば
運動部の対外試合の時や 誰かが友人に理不尽なことをしてきた時など
自分の仲間を守る時であったように思います
ただそれは家系のせいかもしれません
伯父の父親も満州で捕虜をかくまったために銃殺されたそうですし
僕の父親も会社では部下を守るために上司に逆らったといいますが
伯父も日本中が軍国主義に支配されている最中にあっても
「日本が戦争でアメリカに勝てるわけがない!」と断言したといいますが
それでも伯父は高校の寮で学友たちと青春を謳歌し
抑えきれない感動の思いを母親への手紙にしたため
「今が人生で最も素晴らしいときです」
そう語りながらも 後で見つかった当時の遺稿の中では
死というものについて思いをめぐらせている心境を吐露していました
すぐそこまで来ている運命を薄々と感じていたかのように・・
なぜ そんなに駆け足で人生を終えなければいけなかったのか
ただ 時代の急流に身をまかせるほかなかったのか
残された者たちにとっては なぜか憐れみや同情を超えて
それは悲しいほどに美しい短い生涯であったのように感じられるのです
追記:2012年12月に急に法人移転登記をすることになりました。
    日付が12日となったのは言うまでもありません
画像:空想画 「紅葉と渓流」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA