丹波さんの思い出(2008年9月の日記)

丹波哲郎さんが天国に旅立つ少し前に
「来世研究会」 という会に1年だけ入っていました
丹波さんの霊界話に特に興味があったわけではなく
偶然に若かりし頃の任侠映画の丹波さんを見てファンになったからです
殺気だった場面でも余裕のある丹波さんの雰囲気がとてもカッコ良かったんです
そこで一度はナマの丹波さんを見てみたいと思っていたのです
その機会は意外にもすぐにやってきて
めったにないという、ご自宅での集まりに参加できることになりました
その昔は美輪さんや江原さんもいらしていたそうです
屋上にヘリポートがあるという丹波邸はさすがに風格があり
広い応接間に入ると暖炉の上には亡き夫人の大きなお写真
「女房殿」 と呼んでいた丹波さんの愛情の深さを感じました
集まったのは古くからのファンの方々ばかりで、僕は遠慮がちに隅に座っていました
そしていよいよご本人が登場・・・ ( おおっ、本物の丹波さんだ! )
笑顔で気さくに話し始める丹波さん
「 皆さん、休憩時間はね、廊下のトイレだけじゃなく、寝室の中のトイレも使って下さいね」
( そ、そんなとこ入れないよぉ・・・でも、さすが大物は凄く寛大だ )
しばらくして、付き人が最近のテレビ番組( 臨死体験特集 )の録画ビデオをスタート
すると、ゲストの釈由美子さんが何やらコメントしている場面が映りました
「 ん、これは誰だ?」 丹波さんがドスのきいた声で聞くと
「 あ、最近のタレントさんです・・」 と言って、付き人はビデオを早送りしました
おそらく彼女が軽薄なコメントをしていると思ったのでしょう・・・すると
「 待て! こういう人の言うことが大切なんだ 」 と丹波さん
( さすが・・・大物はたとえ相手が素人でも謙虚に教えを請う姿勢を持っている )
そうは言っても、ずっと穏やかなご隠居のように振舞っていたわけではなく
自然児そのもののように野性味溢れる口調で話す場面もありました
「 俺は欠点だらけの人間だが、妬み、そねみ、恨み、つらみなどは一切もたないんだ 」
堂々と豪語する丹波さんからは、まさにそのとおりの人柄を感じました
「 明るく、素直に、あたたかく 」 
丹波さんの説く3つの大切なことは そのまま聞く者の心に染み込んできます
やっぱり人間の器がデカイ・・・ 実際に本人を目の前にしてあらためて感じました
それに比べて自分はチッチャイなあ・・・ そう心の中で恥じていたとき
「 あなた、学生さん? 」 となりに座った女性から声をかけられ
「 あ・・いえ、社会人です・・」 そう言うと、周りの四、五人が 「 えっ? 」 という表情でこちらを見ました
( そこまでチッチャかねえや、バーロー! )
でもアダムスキーやメンジャーが宇宙人に会った時に感じたように
飾らない自然のままの真に “偉大な” 人物の面前にいると
自分が未熟な子供のように感じるというのは本当のようです
ただ、なんだか丹波さんの姿を見るのがこれが最後になるような気もして
まるで実父を見送るときと似たようなちょっと淡く切ない気持ちになってもいました
直接ご本人とお話することはありませんでしたが
生前にお会いできてとても良かったと感謝しています
丹波哲郎さんは 大きな海のような人でした
※写真は僕の誕生日に会から届いたカード。応接間で木刀を振るう丹波さんの写真付き。直筆ではないですが嬉しかったです

Cynchronicity

偶然の一致のことをユング心理学で 「シンクロニシティ」 と呼びます
それは双方の波長が合うことによって起こるといわれ
人間なら家族や親友同士にシンクロが起きやすいそうです
波長はヘビのようなニョロニョロした形 (~) をしていますが
ヘビに似た部首の 「辶 (しんにょう)」 の語源は 「しんゆう」 だそうです (嘘です)
先日シャープペンシルの芯がなくなってしまって困っていたところ
ちょうどそばを通りかかった親友フランチェンがポトンと床に何かを落とすと
なんとそれはシャープペンシルでした!
まさに捨てる芯(神)あれば拾う芯(神)ありで
「ちょっと貸してくれる?」 と尋ねたら
「いいよぉお~~!」と親指を立てて快くOKしてくれて
さっそく使わせてもらいました・・・が
書いた文字がなぜか赤色!?
それは赤い芯が入ったシャープペンシルだったのです!
「おぉ、親友だけに、赤い芯でつながった芯友!・・って、コラ!」
「え? ちがうの?」
フランチェンがパニックで思考停止になる前に僕はお願いしました
「芯、黒にしてぃ!」
「いいよぉお~~!」
・・・コホン!
※ちなみに、シャープペンシルとは和製英語で
 正しい英語では 「メカニック・ペンシル」 と言います (豆知識だよ!)
さて、前置きのジョークはこのくらいにして本題に入りますが (←前置きが長っ!)
よく 「偶然の一致が起こり始めたら、物事がうまく進行していサイン」 とも言われます
もちろん、自分が関心を向けているものが引き寄せられてくることもありますので
「シンクロが起きた」 = 「運命的なつながり」 と思い込むのは早計ですが
いずれにしても心の波長を合わせたものに出会っていくことは確かでしょう
いま流行の 「引き寄せの法則」 にもつながりますが
僕にとってはそれは必ずしも 「欲しいものをゲットする」 ことを意味しません
たとえば自然が好きな人が海や山などへ引き寄せられて
海のさざなみを聞いたり、森林浴をしたりしても
それらを自分のものにしたいのではなくて
大自然のふところにただ包まれていたいだけです
相手が人間やモノであったとしても
ホントに自分にとっての宝物のように感じていたら
そばで眺めているだけでも満たされて
もちろんときどき触れてみることはあっても
ふだんはそっと見守っているのが 最も深い愛情の距離のような気もします
シンクロニシティとは まるでレンズの焦点が合うように
いろいろなものが 愛のフォーカスにぴったり合う距離に近づいてくれる
毎日の生活の流れの中での一期一会であるように思えるのです

お茶目なオムネク(2008年3月の日記)

本のカバーには彼女の好きな花や蝶々の写真はデザインできませんでしたが
オムネクからは 「素敵な表紙ね」って言ってもらえました
前のメンジャー夫妻の本にも僕のジョークは何も書かれていなかったので
ふだんの僕を知る人は意外そうな(けげんそうな?)顔をして
「こういうマジメな一面も持ってたんだぁ・・」 と言いました
オムネクも本では真面目なことばっかり言ってますけど
いつもはお茶目で面白い人なんです
天真爛漫って言うんでしょうか
日本とドイツとの時差の関係で現地の朝の時間に打ち合わせの電話をしたら
こっちがしゃべってるっていうのに電話口で大きな声でアクビするんですよ
そりゃ失礼だろって意味を込めて 「ねむいの?」 って聞いたら
「うん♪」 だって・・(おい!)
それから近況報告の手紙が来て、長々と何が書いてあるんだろう?って思ったら
「こないだ○○まで近道するつもりで新しい道をみつけたんだけど逆に何倍も時間がかかっちゃった」
とか・・(アホか!)
「○○さんと△△さんと◇◇さんへ●と■と▼を買ったら、手元のお金が○ドルだけになっちゃった」
とか・・(子供か!)
まぁ、貧乏なのにお金にぜんぜん執着がなくてすぐに手放す人だって聞いてはいたけど・・
それでいて、ときどき深い洞察のある言葉をさりげなく語ることもあるので
「あぁ、やっぱりあのオムネク・オネクだぁ・・」と感心させられたりします
愛すべき人ですよ 彼女は

かすかな声に耳を澄ます

なんだかちょっと気になったけど
そのままにしておいたことが
しばらく後になってから
「あ、やっぱりそうだったんだ」 って
気づいたりすることがあります
それは誰もが持っている感覚なのでしょう
直感のひらめきというのは
ピカッ☆ときらめくようなハッキリしたものよりも
さりげなくふわりと訪れることが多いようです
心がざわついたり浮かれたりしているときは
静かなそよ風のささやきに気づけないものです
そっと目を閉じてみて
ふーっとひとつ深呼吸をするだけで
心はだいぶ落ち着くでしょう
不安などがあるときでも
息を深く吸ってゆっくり吐くだけで
ふっとどこからか
「大丈夫だよ」 って
やさしい声が聞こえてくる感じがしませんか?
いますぐに解決策が思いつかなくても
きっとうまくいくさって
地平線から昇る朝の光を浴びるように
ほんのり温かい気持ちにさせてくれる
そんなかすかな声が
心にいつもささやかれている
誰もが未来に希望をもって
明るく生きていい
それが魂の本当の願いなのだから
不安や恐怖で人を諭す神様なんて本物じゃない
誰もが心の底ではそう気づいているはず
私たちは宇宙を動かす大きな存在に愛されているのだから
さぁ 笑顔で一日を迎えよう

あさがお

              薄紫に霞む朝もやの奥 
              静かに微笑んだあなたに
              魅入られて吸い込んだ霧は 
              この胸を淡くつつみ清めていった
              音のない暗闇の中 
              ずっとあなたをさがしていた
              伸ばしたこの手は 
              虚空にもてあそばれた
              冷たさも 温もりもない 
              眠り薬のような風に身をまかせて
              おとずれる夜明けを待つだけの 
              悲しみすら忘れた僕の
              瞳に映った 
              やわらかに揺れる 
              蒼い朝顔の花
              淋しげに恥じらうような 
              閉じたつぼみが 
              たおやかに開いていく
              霊妙なきらめきで彩られた 
              満開の微笑みは 
              なぜ そんなに優しいの
              なぜ 苦しいほどに 
              僕の胸を恍惚で満たすの
              なぜ あなたの輝きは 
              太陽よりもまぶしいのに 
              僕は目を見開いているの
              ずっとあなたに会いたかったのに 
              切なさに 涙がこぼれて 
              言葉が見つからない
              また 傷ついてしまうの 
              また あなたは行ってしまうの
              夜のしじまが 
              しずかにとばりを上げていく 
              ゆっくりと霞んで流れゆく 
              朝顔の花
              静かに見送る僕の胸に落ちた 
              花びらの露しずく

12・12・12

僕の母方の遠い伯父に 若くして亡くなった文学青年がいました
作家を志していた彼は東大の文学部へ進む予定でしたが
「医学部に行けば徴兵は免れるから」との母親の強い願いを受け入れて
長崎の医科大学へ進学しましたが
その直後に投下された原子爆弾によって帰らぬ人となりました
母親は自らの判断を深く後悔し
悲しみのあまり どうしても現場を訪れることができないまま他界しました
伯父は多くの兄弟姉妹から深く慕われていた人でした
子供どうしで喧嘩をしている時でも
伯父が帰ってくるだけでなぜか自然におさまったといいます
それは彼に威厳があったからではなく
誰もが気持ちに余裕のなかった戦時下の苦しい生活の中であっても
伯父はいつもまぶしいほどに爽やかであったそうで
味気のない貧しい食べ物でも
「こんなにうまいものをどうしてみんな食べないかな~」
などと言っていたそうです
彼の妹は 面倒見のいい優しい兄を振り返って
「兄さんの『俺もう頭きちゃったよ!』という声は耳に残ってるのに
どうしても怒った顔が思い出せないの」
そう不思議そうにつぶやいて遠くを見ていました
伯父と共に彼の親友の青年も亡くなりました
彼らに影響されて文学を始めていたもう一人の親友が東京にいました
その青年は伯父たちの死に大きなショックを受け深く哀しみ
毎年 命日には一輪の白い菊の花を持って母親を訪れたといいますが
「○○君にだけはかなわなかった」と伯父の文才を称え
他の人たちへもしきりに
「○○君は自分よりも文学の才能があった」
そう言ってくれていたそうです
あるとき彼は真新しい本を持ってきて
「こんど僕が出す小説です」と言ってプレゼントしてくれたそうですが
それが後に芥川賞を受賞する吉行淳之介の作品でした
長崎の原爆は 当初は北九州の小倉に投下される予定だったそうですが
当日は曇天であったため 急遽長崎へ変更されたそうです
実はその日は小倉には僕の父方の親族がいました
もし小倉に原爆が投下されていたら 
後に僕の父と母が出会うこともなかったでしょう
数年前に父が事故死した後に
夢の中で長崎に生まれ変わっている父と出会いました
父は路面電車に僕を乗せて市内を案内してくれましたが
長崎に路面電車があることは後日友人に聞いて初めて知りました
僕が知っていたのは 長崎の人はファーストネームで呼び合うため
「欧米か!」とよく言われていることだけです ← それは「名が先」だろ!
さらにその頃 見知らぬ女性からメールをもらいましたが
その人は長崎の助産婦さんでした
今これを書きながら思ったのですが
もしかしたら父は 
かつて自分たち一族の身代わりとなったくれた長崎の人々に
何か恩返しがしたかったのかもしれません・・
晩婚だった父と母に授けられた命として僕は広島に生まれました
幼い頃から 戦争のない平和な世界を望む気持ちがあったせいか
大人になった僕は友好平和のための小さなNPOを作りました
法人登記する日は 語呂がいいので平成12年12月12日にしました
つい最近知ったのですが 伯父の誕生日は大正12年12月12日でした
それから僕は知人の本にタヌキのイラストを提供したのですが
これもつい最近知ったのですが 
伯父はいつもタヌキのイラストを描いて皆を笑わせていたそうです
かと言って 僕は伯父の生まれ変わりではないと思います
彼はとても温厚で優しい人でしたので
穏やかな表面の奥に激しさを持つ僕とは魂が違っているようです
ただ伯父は妹や弟たちを守る時は恐れを知らない毅然とした態度を見せたといいます
そう言えば僕もふだんは自分でも穏やかで静かな性格だと思うのですが
どんなときに激しい性格に豹変してきたかを思い起こせば
運動部の対外試合の時や 誰かが友人に理不尽なことをしてきた時など
自分の仲間を守る時であったように思います
ただそれは家系のせいかもしれません
伯父の父親も満州で捕虜をかくまったために銃殺されたそうですし
僕の父親も会社では部下を守るために上司に逆らったといいますが
伯父も日本中が軍国主義に支配されている最中にあっても
「日本が戦争でアメリカに勝てるわけがない!」と断言したといいますが
それでも伯父は高校の寮で学友たちと青春を謳歌し
抑えきれない感動の思いを母親への手紙にしたため
「今が人生で最も素晴らしいときです」
そう語りながらも 後で見つかった当時の遺稿の中では
死というものについて思いをめぐらせている心境を吐露していました
すぐそこまで来ている運命を薄々と感じていたかのように・・
なぜ そんなに駆け足で人生を終えなければいけなかったのか
ただ 時代の急流に身をまかせるほかなかったのか
残された者たちにとっては なぜか憐れみや同情を超えて
それは悲しいほどに美しい短い生涯であったのように感じられるのです
追記:2012年12月に急に法人移転登記をすることになりました。
    日付が12日となったのは言うまでもありません
画像:空想画 「紅葉と渓流」

英語学習法

僕の英語はまったくの独学です
留学したことも英語学校に通ったこともありません
社会人になった時点では英検3級でした
ただ英語は世界の共通語とも言われ始めていましたので
世界中の人と友だちになりたくて
海外の20カ国くらいの人を相手に文通を始めました
メールと違って 手紙って何だか温かみがあって好きだったんです
そのころ僕は田舎に住んでいたので
往復5時間もかけて都会の会社に通勤していました
しかも電車内はずっと立ったまま・・
ところがその時間が格好の英語学習になりました
英語学習はまず中学1年生の教科書から始めました
何しろ当時は中学生に
「水って英語でどう書くの?」って聞かれて
「水は分子で出来てるから複数形で WATERS だべ」って胸を張って答えてしまって
あとで別の大人に注意されて
「物質名詞は単数でしょ!中1の教科書から復習しなさい!」と言われちゃいました(恥)
発音は発音記号で覚えました。
そしてラジオの英会話番組を欠かさず聴きました
半年くらいで高校英語まで勉強(復習?)してから英検2級を受けました
しかし試験会場に入ると回りはほとんど女子高生!
小さくなって試験を受けながらも無事合格
午後にはダブル受験で準1級を受験
ここではさすがに大人の受験生が多かったです
2次試験は4コマ漫画のストーリーを言うものでしたが
ふだんからオチを考えるのが好きだったせいで無事合格
そしてさらに1年間の独学を続けて英検1級にチャレンジ!
しかし試験会場に入ると今度はおじさんばかりで
何やらみんな難しそうな英字新聞とか英語雑誌を読んでいます
緊張しながらも何とか筆記試験をパスして
2次試験の日を迎えました
内容はリスニング&書き取りと、お題を与えられての即興スピーチですが
僕はもう覚悟を決めて
どんなお題が出てもブルース・リーの話をしてやろうと思ってました
ですから「私の母」なんてお題だったら完全にアウトでした
幸いにも与えられたお題は「私が読んでいる雑誌」
しめた!『ブラックベルト(黒帯)』に載ってたリーの話をするべ!
そう思ってリーの武道精神を身振り手振りも交えて語り、無事合格!
他の受験生は緊張のせいか、しどろもどろになる人が多かったのですが
海外に一度も出たことがなかった僕は
合格率5%の狭き門を通過できたのでした
これらの学習を通じて僕が得た教訓は
日頃から色々なことに自分の考えを持つようにすること
日本語で意見が言えなければ英語で言えるわけがない
たとえ英会話に慣れていなくても
自己主張ができれば あとは単語と文法知識があれば大丈夫
発音はラジオ講座だけでも充分に学べる
ということでした
自分を語ることは 英会話を生きたものにします
そしてそれにはまず 外国のことを知るだけでなく
日本の文化についても語れなくてはいけません
海外の人は たとえ若者であっても自国の文化をしっかり語れる人が多いです
でも言葉だけで説明するのは難しいので
いろんなアイデアを用いて楽しく紹介するのがよいでしょう
僕がイラストを提供している本(右上の写真)の
『ポン!とわかる 英語で日本紹介 アイデア集』(川田美穂子さん著)はお薦めです
さて、話は変わって
独学で英語をマスターって言っても
通勤電車っていうと「電車男」のイメージもあるので
薪を背負って通学途中に勉強した二宮尊徳みたいに
家から駅まで歩きながら勉強したと僕は友人たちには語っています
実際に自宅から駅まで徒歩で25分ほどありましたが
帰りは真っ暗な田舎道なので、勉強は行き道だけです
すなわち、英検1級は駅へ行く道の苦学!
        駅へ行く・・
        えきへいく・・
        えけいっく
        えいけんいっきゅう
        
        く・・苦しい・・

小聖と大聖

『小聖は山に篭(こも)り 
大聖は市井(しせい)で人と交わる』と言います
つまり
人里離れた場所で瞑想などをして自らを高める聖者と
街中で人々と接しながら普通に暮らす聖者です
前者はまだ器が小さく 後者は大物なのでしょう
よく 「存在しているだけで影響力がある」 と言う人がいます
そういう人は 山に篭っていても 街中にいても世界に影響を与えるのでしょう
「私は存在していることで世の中に貢献している」 という人もいます
そのとおりだと思います
しかし どこに存在するかで その本質も問われるかもしれません
静かな山中と 騒がしい俗世間では 周囲の環境が大きく異なります
ブルース・リーは平常心を養う訓練として
イヤホンで片耳に工事現場の大騒音を聴かせ
もう片方の耳には水滴が落ちる微かな音を聴かせ
やがて水滴の音だけに心が集中するようにしたそうです
本物の聖者がいるとすれば
その人は聖なる山などではなく
喧騒と情念が渦巻く下界の真ん中で
凡人のふりをして生きているのではないか
僕はそう感じます
真の聖者は
ただ 「存在する」 だけで良いとは思わず
かと言って他人を 「救おう」 とも思わず
ごく自然に触れ合いながら日常生活を過ごす
そんな人ではないかと思うのです
もし
弘法大師空海が 旅の道すがら
路上で飢えた人と出会ったとしたら
その面前でお弁当を食べて相手にも満腹感を得させようとはしないでしょう
かといって
その人を救ってやろうとお弁当を与えることもしないでしょう
たださりげなく 相手の意思を尊重して
友に声をかけるように尋ねることでしょう・・
「食うかい?」
※写真は高校時代に描いたブルース・リーの絵

夏の味覚

暑い季節に美味しいものといえば
そうめん、スイカ、アイスクリームなど 
いろいろあるなかで 僕の大好物は
ナスの生姜焼き なのです
ただ一人暮らしを始めてからは
自分ではなかなか上手に作れません
フルーチェは自分でも作れるのですが・・
何年か前の夏に実家に帰省したときに
看護師の姉が ナスの生姜焼きをご馳走してくれました
その日の晩に僕は
後に名作と称された俳句を詠んだのでした ―
       焼きナスと
       夜勤ナースの
       夏日(なすび)かな
※画像は空想画「夏の滝」

サムライ魂

大和魂=サムライ魂かどうかは分かりませんが
現代のサムライといえば
僕は俳優の藤岡弘さんを思い浮かべます
彼が以前、米国の山岳映画 「K2 愛と友情のザイル」 に出演した際のこと・・
撮影現場には人種の異なる多数の人々がいて
そこでは醜いエゴによる摩擦も生じていたといいますが
ある日の撮影中に突然に雪崩の危険が訪れ
急遽ヘリでキャンプへ避難することになったそうです
メインクラスの俳優たちが優先的にヘリに乗るように促され
藤岡さんも声をかけられましたが
われ先にとヘリへ乗り込もうとする人々の姿を見た彼は
「神がこの映画に私を必要としているならば、決して私を死なせないはずだ」
そう思い、自分は最後に乗り込むことにしたそうです
全てを一瞬で飲み込む雪崩がいつ押し寄せてきてもおかしくない状況の中で
並の正義感だけでは先に恐怖心に飲み込まれてしまっていたことでしょう
やがてヘリがキャンプに無事到着し 
最後に藤岡さんが降り立つ姿を見て
それまで彼を多少見下していた人々の態度が変わり
「彼はサムライだ」
そう言った人もいたそうです
かつて宮本武蔵が悟った極意 ―
「武士道といふは 死ぬことと見付けたり」
自分は死ぬ覚悟ができているだろうか?
そう自問自答した僕は
まだ生きることに未練が多いように感じました
何年か前に
駅の線路に落ちた人を救助するために 
列車に轢かれた亡くなった人のニュースを聞いたとき
たまたま傍にいた僕の親友がポツリとつぶやきました
「ボクが線路に落ちたら 君は命がけで助けてくれようとするんだろうなぁ・・」
たしかに100%そうするだろうとは思いましたが
「なわけねーだろ、アホ!」
と勝手に口がしゃべっていました
トーク イズ チープ だぜ、マイフレンド