オムネク・オネクについて

※彼女の著書の翻訳者の立場として、書籍ではエチケットを守って、訳者として出しゃばった発言は控えましたが、彼女のメッセージの重要性や価値を感じているからこそ、その純度を守る意味でも、あえて厳格な立場で、誠意をもってここに書きます。

オムネクの著書について

私は彼女の本をできるだけ多くの人に読んでもらうための宣伝はしていません。いわゆる〝ワクワク〟メッセージを求めているスピリチュアル系の人たちにとっては、耳の痛い言葉も含まれていますので、自身の現実逃避願望を認めなくない人は、〝ネガティブなもの〟として拒絶反応を示すでしょう。オムネク本人も「知るということは責任を伴います」と、心の準備のできていない人が安易に情報に触れることの弊害を述べています。

オムネクへの支援金について

ドイツの協力者による支援金受付窓口は以下のURLです。私は関わっていませんので詳細は分かりません。他の方法での海外送金には本人の自宅住所が必要となる場合もありますが、個人情報となりますので、私のほうからお伝えすることはできません。

 https://www.paypal.com/donate/?hosted_button_id=ATRUTN5CENN8S

オムネクへのメッセージについて

彼女は電子メールアドレスやFAXを持ちませんので、読者からの伝言を私から転送することはできませんのでご了承下さい

オムネク・オネクについての私見

私があえて1990年代前半の彼女の写真を中心に掲載しているのは、その時期の彼女のメッセージが重要であり、当時の本人を写真からも感じ取ってもらえればと思っているからですが、その具体的な理由は後述します。

彼女が本当に金星人であるかについては、私には分かりません。しかしそれは、明確な証拠がないからではなく、私自身が矛盾した2つの受け止め方をしてしまっているからです。

最初に、原書の表紙にある彼女の写真を見た瞬間に不思議な懐かしさを覚えましたが、たとえ本当に過去世で知り合いだったとしても、私自身は金星人としての明確な記憶がありませんので、地球上での知り合いだった可能性もあります。

次に本に書かれた金星人の教えを読んだ途端に、何の根拠もなく「あ、これは金星の教えだ」と、なぜか即座に分かっている自分がいました。なぜそう思えるのか、いまだに分かりません。初めて目にしたものであるのに、それを事実として知っているという揺るぎのない記憶のような感覚で、理性では説明ができないものです。

そのように思ったのなら、普通なら、オムネクは本物の金星人だと確信するのでしょうが、私はその点にはまだ疑いがあり、「地球の誰かが金星の教えをどこかで手に入れて、彼女を金星人に仕立て上げた可能性もある」と慎重になっていました。そこで、「皆さんはどう思いますか?」と世間に問いかける意味で、日本で翻訳して出版したいと思ったのです。

もし彼女の背後に仕掛け人がいるとすれば、至高なる神性の法則というものを、金髪碧眼の自称金星人女性を使った奇想天外な演出で伝えて嘲笑を買うよりも、自身の名前で思想書として世に出すほうが、遥かに効果的であり、仕掛け人本人も納得するやり方であったろうと思います。実際のところ、日本で彼女の自叙伝が出て、それなりの注目を浴びた際も、残念ながら、その大半は彼女の容姿やセンセーショナルな出自に対する好奇心からくるもので、その教えに注目する人たちは少数でした。

仕掛け人の存在が考えられないもう一つの理由は、ビジネスや組織の匂いが何もしないということです。オムネクは金銭欲が全くなく、私の知る限り、本の印税も貧しい周囲の人たちにそのまま配っており、そもそも彼女は「真理は誰かが独占するものではなく、皆のものです」と言って、誰からもお金を要求しないため、それをいいことに、無許可で自叙伝を翻訳出版したり、勝手に復刻出版したりして、オムネクに印税すら払わない国内外の複数の出版社に対して、周囲の友人たちが警告を出してきました。

また、教義の起源が金星にあるとオムネクがいうエッカンカーという新興宗教団体があります。オムネクはその創始者のポール・トウィッチェルの信頼を得てはいましたが、その団体のメンバーになったことはなく、当初から現在にいたるまで、団体からは距離を置かれています。オムネクとエッカンカーの関係については後述いたします。

同様にオムネクは、金星人とコンタクトをしたというジョージ・アダムスキーの体験の真実性を認めていますが、異次元の存在を否定するアダムスキーの教えとは大きな違いがあるため、オムネクは大部分のアダムスキー支持者から否定されています。よって、アダムスキー信者が布教のためにオムネクを利用したという批判は全くの的外れで、訳者の私は信者たちから「真実を隠ぺいする陰謀組織の手先」として敵視されています。

そもそも、オムネクが自叙伝を出した当時は、アダムスキーの人気は完全に下火となっており、信者の数も枯れ木の賑わいで、世間からはペテン師と評価されていましたので、アダムスキーの人気に便乗したという批判は全く当てはまらないどころか、むしろ「なぜいまさらアダムスキー?」と疑問を持たれるようなマイナスの影響しかありませんでした。私のことをアダムスキー信者などと言う人は、私がどれだけ信者から嫌われているかを知らないのでしょう。

オムネクとは文通を続けてきましたが、私には彼女が本の内容にある詳細な教えを一人で考え出すような性格であるとは全く思えませんでした。彼女は哲学的なことを説く思想家というよりも、繊細で優美な感性をもつ素朴で無邪気な少女のような性格をしていたからです。それは彼女の周囲にいる人たちも同じ見解だろうと思います。ときどき彼女の口から驚くほど深淵な教えがさらりと語られることがありましたが、それは幼児期から身に着けていたような自然な印象を受けました。

私には他の惑星で過ごした前世の明瞭な記憶はありませんが、幼少時から、自然と近代的な建物が調和したパステル調の綺麗な街で、地表を静かに滑空する乗り物で移動していた記憶があり、当時は自分はそのような場所を(赤ん坊のころに)訪れたことがあるのだろうと思っていました。金星について具体的には知りませんが、芸術性と感受性が豊かな惑星にいた漠然とした記憶があり、そこに住む人たちとオムネクの印象に共通するものを感じていました。

後にオムネク本人から、私が質問したわけでもないのに、私とは過去世の地球で家族や友人だったと言われました。私は地球上の賢人の中では老子に最も親しみを覚えており、また最も好きなのはフランスの芸術家でしたが、それらをオムネクに何も伝えていないにも関わらず、過去に家族として共に老子から学び、フランスで友人として仲良くしていたと言われました。

さて、ここからは少し複雑な話になってしまうのですが、あえて正直に書くことにします。オムネク・オネクという人は、現在に至るまで、お子さんたちやお孫さんたち、そして周囲の多くの人たちを常に気にかけている心優しい女性であることは確かです。ただ、彼女の伝えるメッセージに関しては、私が個人的に信頼できるのは1990年代の半ばまでです。それ以降のメッセージは、いわゆるノイズが入ったものであると感じています。実際に彼女は地球に宇宙船でやってくる前に、同胞のマスターから、「自身の素性を明かすまでは、地球における他のUFOや宇宙人の情報に触れないように。それに影響されると、伝える内容が正確ではなくなってしまう」と警告されていたといいます。彼女が世間に素性を告白したのは1991年です。

私が自身の翻訳書で紹介している彼女の言葉の大部分は1990年代半ばまでのもので、それに沿って、写真もその期間のものを主体にしています。では、古いメッセージだけを紹介しているのかと思われるかもしれませんが、私の感覚では、彼女の初期のメッセージは常に新鮮さを失わないもので、それ以降のものは地球の流行に影響されたものに感じられますし、事実そうなっています。

実際に彼女は自身の素性を公の場で告白してから、UFOに関心にある人たちから「この情報はどう思いますか?」と、ありとあらゆるUFO・宇宙人・精神世界の話を紹介され、批判的なことは言わない彼女の性格もあってか、次第に彼女本来の話とはだんたん根本的なズレが生じてきました。それを新たな展開と受け止めようとするのがスピリチュアル系の、いわば「オムネク信者」の人たちの傾向のようですが、私には真実性が薄くなったように感じられました。さらに彼女は過激なことは言わないので、ディープな空想話を好むマニアックな人たちから見れば、昨今の語る内容は浅い内容に聞こえてしまっているようです。

それとは対照的に、彼女の初期の話は、シンプルなようで実は非常に深淵なのですが、スピ系の人たちには幼稚なレベルにとらえられてしまいがちです。

ただ、ここまで述べておいて全く矛盾することを言うようですが、私自身も不思議に感じていることですが、オムネクは私と個人的に話したり、手紙を書いたりするときは(彼女はパソコンを使わないので、やりとりは電話か手紙になりますが)、彼女はとても信頼できる人になっているのです。そして私や日本人読者へのメッセージも、1990年代中頃までの彼女と同じものなのです。あたかもその時に本来の自身に戻るかのように・・・。

そしてこれは不確実な憶測にすぎませんが、ときどき私は、オムネクの魂(意識)はすでに肉体を卒業して別の次元に存在しており、今は別人の善良な魂が体に宿っており、当初のオムネクは、必要なときにだけ憑依するように戻ってきているのではないかと感じることもあります。実際に彼女は2000年ごろから急に「体験のため」と称して喫煙するようになり、また「地球人と同様に老化を体験するため」という理由で、地球に来て以来5年ごとに受けていた肉体の調整も終了したといいます。そして実際にその頃から彼女の容姿から若々しさが消え始めています。

ところで、彼女が「アセンションしたアストラル次元から、体の波長を物理的な次元まで低下させて宇宙船で地球にやって来た」という話が信用できないという人たちが挙げる理由として、「物質レベルの煩悩を卒業(解脱)した高次元から来た人が、地球社会や人間社会で振り回されて苦労するはずがない」というものがあります。彼女の出自の真偽はともかく、私はアストラル次元とは、まだまだ未熟な下層世界に過ぎないだろうと推測しています。悟りを開いた聖者たちの世界などではないはずです。

スピリチュアルの世界には、「覚醒した人」「悟りを開いた人」と称する人たちや、そのように尊敬される古今東西の聖者たちが存在しますが、私はあまり信用していません。その理由は、食べ物にたとえて説明すると分かりやすいかと思います。

生ものは腐りやすいので扱いが大変です。乾燥果実(ドライフルーツ)は栄養食で、常温で長期保存ができ便利ですが、生の果実の代わりにはなれません。水分を抜くことは、感情や情緒といった不安定な要素を排除することです。

自然界に無駄なものはありません。煩悩とされるものは、排除するのでなく、それと共に生きて消化していくことが必要です。世俗から離れて煩悩を排除し「悟り」を得たという人は、ドライフルーツの健康食を作り出した人に過ぎません。それはゴールへ早く到達したいがための禁じ手なのです。本物の料理人は生もので勝負しなければ失格です。

私が「悟りを得た」と自称する人たちを信用しないのは、生ものから水分を抜いて完成された人に過ぎないからです。それとは対照的に、宮沢賢治は、この世の中の全ての人たちが幸せにならない限り自分の幸せはないと言いました。幸せとは悟りです。身の回りの誰かが不幸せでいるなら、それは自身がまだ悟りきれていない未熟者である証でもあるはずです。ですから、自分の未熟さを正直にさらけ出しているという点でも、私はオムネクの人間性が信頼できるように感じているのです。

余談になりますが、この地球社会で生きていく中で、お金というものはその人の人間性を示す一つの物差しにもなりえます。オムネクは、私に対して、最初の翻訳の企画を申し出たときから、お金について条件を言ってきたことは一度もありません。「貴方を信頼するので、すべて任せます」と言っただけです。印税についても、経済的に困っている子供たちに全額をそのまま渡していることが何度かありました。読者の方々には見えない背景ですが、愛とか光とか綺麗な言葉で飾った本や高額セミナー等で日本で稼いでいるスピリチュアル世界の著名人の中には、非常に強欲で傲慢な人たちがいることも私は知っていますので、オムネクがお金のために何かをしている人間ではないことだけは保証できます。それは私が翻訳書を出しているアーディ・クラーク博士についても同様で、印税のことは全く気にしていません。

他の金星人の情報について

他の自称コンタクティの人たちによる異星人情報に登場する「金星人」の情報が、オムネク本人の伝えたものと同様であると誤解されるといけない重要な点があるため、ここで説明をします。

オムネクによれば、金星人は、どのような理由があっても、創造主または彼ら自身が創造したもの(つまり万物)を破壊することはしません。たとえ破壊の意思をもった者から仲間が危害を加えられそうになった場合でも、相手を傷つける手段は決して選びません。また、大勢の命を守るために、一人を犠牲にすることも決してしません。

金星人といえば、「銀河連合」の大使等と紹介される「金星人ヴァリアント・ソー」について語る自称コンタクティたちがいますが、ヴァリアント・ソーとは、自称コンタクティのフランク・ストレンジズが作り上げた架空の人物です。ストレンジズはヴァリアント・ソーと1950年代末から1960年代初頭まで何度も会い、宇宙船にまで同乗したという話を1990年代になって急に語り始めましたが、彼が自著に掲載するヴァリアント・ソーの写真はすべて、1950年代に金星人や土星人と会ったというハワード・メンジャーの集会で撮影された複数の写真を無断で盗用しているものです。何度も会っているという相手の写真をストレンジズ本人は1枚も持っていません。この事実はあまり知られていないため、自称コンタクティたちは、ヴァリアント・ソーと会ったという体験を不用意に語り、自分たちの宇宙人ビジネスが作り話を土台にしたものであることを自ら証明してしまっているのです。そもそも、銀河連合にまつわる話自体が、UFOビジネスで暗黙の了承のもとに使われている架空の話に過ぎないものですが、それを見抜けない自称「意識高い系」の人たちが商売を支える顧客となっています。

金星人が過去におかした過ちは、ヒューマノイドロボット、いわゆるバイオロボットを創造したことだといいます。そこに低層次元の存在が憑依してしまうことを予期していなかったからです。これを公表したのはオムネクだけですが、金星人側はバイオロボットの詳細を地球人に伝えるには時期尚早だと判断しているという情報は65年前からありました(ちなみに、金星人イエスが、同情心に負けて多くの地球人を癒してしまうカルマを負ってしまったと伝えたのもオムネクだけです)。

いわゆるグレイはロボットであろうというのは、アブダクションをされた国内外の多くの体験者がもつ見解でもありますが、オムネクはグレイ及びそれを操る存在たちが悪の存在であるとは言っておらず、悪を攻撃する暴力を正当化する正義も語っておらず、金星人らは、「創造物を破壊しない」という宇宙普遍の法則に従っています。

私自身、友好的な異星人らしき男女との遭遇と、アブダクションの双方を体験したことも踏まえて推測するのは、人間が創造主(神)に近づこうと願うのと同様に、バイオロボットも彼らの創造者(つまり人間)に近づきたいと願うのが自然なことで、地球人が知性の劣る動物たちを自身の目的で利用するように、知性の劣る地球人から人間の遺伝子をもらおうとすること(つまり交配種=ハイブリッド)を試みることも、邪悪な行為や侵略と考えるべきものではないと思います。誘拐される地球人は前世で合意しているのだとすれば、その背景を理解しているからかもしれません。

ちなみに、二コラ・テスラについてオムネクは、彼は金星人ではなく、金星から転生してきた地球人であると述べています。

残念なことに、UFO・スピリチュアル情報の大半は作り話で構成されており、本職の「愛と調和」のメッセージには隙がないため、気を抜いた時の発言等で本質を見抜くことが肝要かと思います。

「金星人オムネクの答え」の中で説明していますが、彼女が認めているジョージ・アダムスキーの(金星人との)コンタクト体験について、彼の発表したUFO写真は、本物の半透明な船体の画像は推進装置が写り込んでしまっているので、模型写真で代用したと思われるものです。つまり、公開されたUFO映像は偽造であり、その材料もすでに特定され、アダムスキーの本の共著者(D.レスリー)もそれを認めています。

最後に、オムネクの話は奇想天外な作り話と一笑に付すのが地球人の典型的な反応であろうことは、本人も理解して許容しており、思慮深い読者の方からは「地球人レベルの憶測で、彼女のシンプルかつ深淵な話の真偽や、現代科学では大部分が未知の金星について安易には決めつけられないでしょう」と伺ってもいます

アダムスキーの謎とオムネクとの関連性(新装改訂版の本では割愛された章を掲載)

①金星文字の手紙

アダムスキーは金星文字で書かれたとされる文書を異星人からもらったといわれ、その文書についてオムネクは、彼女の伯父のオディンが書いて、オーソンを経由して、アダムスキーへ届けた手紙であると述べています。手紙にある「もうじき私たちの中の一人があなた方の世界に入り込む」という内容が真実だとすればオムネクを指しているのは明らかです。さらに「パロマー山の友人へ」と宛てていることも、アダムスキーがそこにいたのは一九五四年までですので、手紙が書かれたのはオムネクがチベットから米国に移る一九五五年以前となり、話のつじつまは合います。またチベットで三年ほど過ごしたと言う彼女が地球に来たと思われる一九五二年は、アダムスキーがカリフォルニアの砂漠でオーソンと会見した年でもあります。

その前年の一九五一年に公開されたSFの古典的名作『地球の静止する日』(『ウエストサイド物語』のロバート・ワイズ監督作品)について、アダムスキーは砂漠でのコンタクトの一年前にエマ・マーティネリへ宛てた手紙で次のように述べています ― 「この映画を観れば、彼らが私たちをどのように理解してモニターしているかが分かります。彼らは地球を訪れ、私たちのどんな言語でも話せます。事実、大方の観客が気づく以上にこの映画は現実的なものです。ここ南カリフォルニアで彼らとの交信が続けられていることを私は二年以上前から知っています。そして交信を発展的に継続してきているまさにそのグループがこの映画を作ったのです。だからこそ映画に登場する円盤や宇宙人そして彼が説く道理は非常にリアルであり、軍部の対応やマスコミのプロパガンダで恐怖に煽られる大衆も描かれているのです。私以外にも多くの人がこの情報を発信源から直接得ています。情報の大半は既成の通信システムから入手されてきています。だから映画にはリアリティがあるのです」(訳注 :アダムスキーは一九五〇年八月の自宅カフェでの集会で、米国連邦通信委員会が他の惑星との通信システムを確立していると述べています)。

ところで、映画では異星人クラトゥがロボットを操る際に「クラトゥ バラダ ニクト」という言葉を用いますが、前出のオムネクの「アバクトゥ バラカ バシャド」と響きが多少似ています。もちろんアダムスキーやオムネクがこの映画をヒントにしたと疑うことも可能ですが、逆に映画が真実に近いからこそ似ているのかもしれません。

アダムスキーはこの映画はアラスカで実際に起きた事がもとになっているとも語っていますが、一九五二年一月付のエマへの手紙では以下のように述べています ― 「去年の感謝祭の日、私のところにとても感じの良い紳士が立ち寄り、アラスカに住む海洋エンジニアだと(信用証明書を見せて)語ったので、私はその付近の円盤について知っているか尋ねたところ、彼は次のような話をしてくれました ― 『もちろん円盤も葉巻型の宇宙船も見ています。私の二歳になる娘はもっと多く目撃し、着陸した宇宙船の中に何度も入っています(しかし彼は基地の場所や数については明かしませんでした)。宇宙船が来るとたいてい私は娘を連れて車で乗組員に会いに行きます。宇宙船は磁力で推進しており、サイズは九メートルから八キロに及びます。船内はまさに宮殿のようで、その美しさと心地よさに勝るものはどこにも見出せないでしょう。彼らは火星、金星、そして太陽系外のウォルフ359(訳注 :地球に近い赤色矮星)から来ています。彼らは地球のラジオを傍受して多くの言語を習得しました。彼らは惑星をその軌道番号で呼び、宇宙船には各惑星の記章がありますが、明確なのは土星の記章だけで、円を貫く一本の線で描かれています。その他の記章は、輝く太陽を取り囲む惑星の軌道線上に各々の母星の位置を示したものです。金星は第二軌道、火星は四番目というように。また太陽系外の星の記章はらせん形で示されています(詳細は語られませんでした)。彼らの身長は九〇センチから一九八センチほどで、その大変な美貌と荘厳な輝きの横に並ぶと地球人は粗野な人間のように見えてしまいます。彼らと接した人は、まるで英知を湛えた偉大な存在の面前にいる赤ん坊のように感じます。彼らの服はひとつづきのもので、自動ボタンを押すだけで開いて素早く簡単に脱げます。小柄の宇宙人はツーピースのユニフォームを着ています。彼らの間には地位による差別は何もないようです』この男性の話から、私は宇宙人が現在これほど頻繁に来訪しているのは、我々の対外政策の突然の変化により世界の非武装の必要性が最も高まっていることに対して何かをするために違いないと思いますが、彼はそれについて多くは語りませんでした。また彼によると宇宙船の中には大きめの都市ほどの巨大サイズのものもあり、それらはまだ地球に着陸したことはないそうです」(訳注 :上記の話にはアダムスキーのその後の体験記との共通点も見られます)

 ②オムネクとの最大の違い

オムネク自身はアダムスキーと接触したことはありませんが、「現代において金星人とのコンタクト体験を初めて公表したのはアダムスキーです」と語っています。ただアダムスキーはいわゆる中間世(霊界)やオムネクの言う異次元世界の存在を否定しており、生まれ変わりの際は、肉体において息を引き取った瞬間に魂(意識)は誕生直後の赤ん坊の体に移行すると説いています。関係者の説明によれば、受精した瞬間から少しずつ意識が移行し、およそ九カ月後に誕生した赤ん坊の最初の呼吸と同時に残りの大部分が移るそうです。ただし事故などで突然に亡くなった場合は、移行先の赤ん坊の体を準備する期間がないので、自分の死と全く同じ瞬間に別の魂がまさに移ろうとしていた誕生直後の赤ん坊の体を譲ってもらうかたちで誕生し、本来の持ち主であった魂のほうは元の肉体に戻って奇跡的に蘇生したりするそうです。しかし災害などで一瞬にして大勢が亡くなる場合を考えると、全員がまさにその瞬間にどこかで生まれようとしていた他の赤ん坊たちの体を譲り受けるという離れ業ができるというのは、なかなか普通の感覚では理解し難いところもあります(ただし突然死する人がそれを事前に無意識に予知して、その死を避けることなく運命として受け入れて九カ月ほど前から受精卵へ移行を始めているとすれば別ですが)。

アダムスキーの説いた瞬時の転生の法則について訳者がオムネクに尋ねたところ「私には分かりません。アストラル界と物理的世界では時間の概念が異なるのです」とのことでした。確かに物理的世界での一瞬がアストラル界の感覚では長い時間となる可能性もあるでしょう。ただアダムスキーの時代には心霊主義が隆盛で、現代のチャネリング・コンタクティの草分け的な人たちが出始めていたため、それらとの混同を避ける意図があったのかもしれません。また彼自身「宇宙人は心霊とは一切関係ない! 心霊・神秘主義には近づくな!」と繰り返し強く戒めていましたが、オムネクも不用意にオカルト現象には関わらないように警告しています。実は二人の関連性を考慮する上で、アダムスキーの右腕であったキャロル・ハニーの証言が重要になってきます。そこでアダムスキー研究者にすらほとんど知られていない(むしろ大きく誤解されている)彼の素性をご紹介します。

③元側近キャロル・ハニーの知られざる素性

ハニーは米国の厳格なクリスチャンの家庭に生まれ、小学生の頃には「科学者は神と出会ったら何を質問するのか」をテーマに物語を書いたりしていました。成人したある日、手術中に四分間の心臓停止といういわゆる臨死体験をした後、なぜか自分の人格や興味が全く変わってしまったことに気づき、聖書の起源についてのキリスト教の解釈に疑問を感じ始め、さらに過去に目撃経験があるUFOに関心を持ち始めました。蘇生後に人格が変わる現象は世界で年間に二〇例ほどあるそうですが、それは魂の入れ替わり(ウォークイン)とも呼ばれ、アダムスキーによれば、それは相手の体を奪うことではなく、引き継ぐようなものだといいます。当時の西海岸ではUFOコンタクティと称する人々があちこちでセミナーを開いていましたが、ハニーはそのどれもが真面目な考察に値しないと感じて失望したそうです。そしてある日パロマー天文台へ寄った帰り道に偶然にアダムスキーの名前の郵便ポストを目にして家を見つけ、ちょうど講義中であった彼の話を聞き、「UFOは機械であり、宇宙人は我々と同様の肉体を持ち、善悪の性格も持っている」との科学的な説明に強く共感し、その数週間後にアダムスキーから「一緒に働かないか」と誘われ、ハニーは突然のことに驚きながらも同意して協力者となったといいます。

ある日ハニーは自宅で開いた会合で出席者から「宇宙人がロシアを援助することもありますか?」と質問され「たぶんあるでしょう」と答えたところ、彼の職場の飛行機工場に軍関係者が訪れて個室で色々と尋ねられたため、職場の上層部は彼がFBIかCIAに関わっているのではないかと疑っていたそうです。またある時は彼の自宅のキャビネットから(玄関や机の鍵を開けた形跡が全くないにもかかわらず)貴重なUFO写真や証拠品が忽然と姿を消していたことがあり、さらに郵便物に(はがし忘れたと思われる)公的機関のメモ書きが貼られていたこともあり、そこには「出入りする郵便物を監視せよ」との指令が書かれていたそうです。また彼の職場で一九六〇年頃、アイゼンハワー大統領の諮問委員である地球物理学者のロイド・バークナー博士が非公開の講義を行い、そこで博士ははっきりと「火星には呼吸可能な大気がある」と明かしたといいます(一九六五年一二月一八日のUPI通信によると、博士は惑星探査機のデータの誤りの可能性を指摘するカリフォルニア大学の惑星物理学者ゴードン・マクドナルド博士やプリンストン大学のハリー・ヘス博士と共に「金星にはおそらく生命が存在するでしょう」と諮問委員会で述べています)。同じ頃「月、火星、金星に関するソビエト・ロシアの最近の発見」という機密文書がハニーの職場に来たため、彼はなんとかそれを閲覧させてもらおうと試みたものの、アクセスを拒否されたといいます。

ハニーは現在でも次のように強く主張しています ―「砂漠でのアダムスキーの体験は私の友人も目撃している紛れもない事実である(訳注 離れた場所から六人が見ており、全員が少なくともコンタクト地点できらめく光と上空の巨大な葉巻型母船を目撃し、双眼鏡で見たアリス・ウェルズは人物をスケッチしています)。のちに彼は少なくとも二度宇宙船に搭乗しており、それらは世界中の沢山の政府の様々な情報局が知ることでもあり、私の持つ証拠は彼とは無関係な多様な情報筋からのものだ。彼の円盤の写真は正真正銘の本物であり、三冊の著著の内容も九五%かそれ以上に正確なものだ」 ところがハニーはアダムスキーの土星旅行記に関しては「その期間中に彼は私と一緒にいたのだ」と言い、「後年に彼は宇宙人になりすましたサイキックな勢力の道具にされてしまったと私は確信している。本物のスペース・ピープルならあのような一連の出来事の進行(訳注 詳細は後述)を許すはずがない」と述べています(ちなみに金星旅行はクリスマスシーズン中に行われたことになっているため、すでに妻が他界して子供もいなかったアダムスキーのそばには、誰もいなかったものと思われる)。またアダムスキーが最後まで深く信頼していた一五年来の秘書のルーシー・マクギニスは、コンタクトの目撃証人の一人であり、のちに彼女自身も自宅前に飛来した大型円盤を間近で目撃し、船体から透けて見えた二階建ての内部構造や乗員たちのスキー服のような格好も確認しており、アダムスキーの体験は真実であると主張しながらも、後年の金星・土星旅行については「作り話でしょう」と述べています。二人の発言はアダムスキー支持者から「自分たちが宇宙船に乗せてもらえなかった嫉妬心によるもの」等と言われてきました。

④アダムスキーの変化

しかし訳者は一昨年、高齢のハニーと五〇回ほど連絡を取り合い、詳しい話と証拠資料に触れて、事実はそれほど単純なものではないことを察しました。そしてその謎を解く鍵となるかもしれないと感じたのがオムネクとの偶然の出会いでしたが、ハニーには彼女のことは一切話していません。なぜなら彼はアストラル界の存在は断固否定しているからです。しかし単に頭ごなしに否定しているのではなく、彼はカリフォルニア州で最初に認定された催眠術の教師であり、幽体離脱や心霊現象のメカニズムについて科学的に優れた解説をしています。実はアダムスキーの三冊目の体験記で神秘主義などを解説した文章はハニーが書いたものです。当初アダムスキーは講演旅行記(六章分)と最新エッセイ(三章分)のノートを用意していましたが、一冊の本にするには原稿が足りず、彼からの情報を参考にハニーがさらに九章分を書き上げたのです(ハニーに批判的なアダムスキー財団はこの本だけを推薦図書から外しています)。本の題名をアダムスキーは『空飛ぶ円盤よ、さようなら』としました。ハニーによると一九六〇年ごろアダムスキーは宇宙人への協力活動を一段落させ、それに関係していた宇宙人グループは彼から離れたようで、彼はハニーに「私はUFO界から引退してメキシコへ移住するつもりだ」と言ったそうです。アダムスキーは一九六一年に各国の協力者向けの機関紙で「私はスペース・ピープルから新しい役割を与えられましたので、彼らの了承を得てハニー氏を米国における代表者とし、私のこれまでの仕事を引き継いでもらうことにしました。私は別の場所に越すかもしれませんが、定期的に彼に情報を送ります」と発表しました(実はその半年前にハニーは単独で宇宙人に対面し「アダムスキーの仕事を引き継ぐ者としてあなたを選んだ」と告げられていたそうです)。ところがその後 ― おそらく古くからの弟子の扇動によるものであろうとハニーは推測していますが ―  機関紙でアダムスキーは「ハニーは私から全てを奪おうとしている」と激しく非難します。ハニー自身は「率直に言って私は機関紙でのアダムスキーの矛盾した発言を本当に彼が書いたかどうか疑っている」と述べています。実はアダムスキーはタイプライターが打てず、英文も正確ではなかったため、彼の文章は他の人が校正しながらタイプしていたといいます。

ただその少し前からアダムスキーにはある変化が見られていました。彼は「現在、私は新しいスペース・ブラザーズのグループのコンタクト受けている」と語り、ハニー、高弟のアリス・ウェルズ、秘書のソーニャ・ロングなどの側近の面前で自己催眠によるトランス状態になり、自分の声帯を使ってオーソンのメッセージを伝え始めたといいます。長年このようなことを非常に強く戒めてきた彼の突然の変化に驚いて問いただすハニーに対しアダムスキーは、「他の者たちは全員ニセモノだが、私だけは正真正銘の本物だ。これは通常のトランス状態であり催眠状態ではないのだ。彼らはこの方法で私に情報を与えているのだ」と主張したといいます。ハニーは当時を次のように回想しています ―「アダムスキーがトランス状態に入ったとき彼の声が変化した。それから覚めると彼は自分が何を語ったのかを覚えていないと言った。これはトランス媒介者が言う典型的な返答なのだ」 ルーシーもこのサイキックな手段に賛成できず、それは彼女が彼のもとを離れる一要因ともなりました。ただハニーが来る以前の一九五三年一月にアダムスキーから離反したジェロルド・ベイカーは、砂漠での会見の一週間ほど前にアダムスキーがサイキック通信のような口調で、砂漠で何が起こり、誰が行くことになるか等を語るテープを聞いたと言いますが、アダムスキーはベイカーが来たのは会見の翌月の深夜だったと述べています。彼はアダムスキーのもとにやって来て住み込みで軽食堂や事務を手伝っていた若者で、砂漠に同行してはおらず、離反の原因についても双方の説明は異なっています。その後ベイカーは自分が撮影したとされている円盤写真は実はアダムスキーに頼まれて名前を貸したのだとも言い始めましたが、当時現場にいたルーシーはこれを強く否定して、「撮影したのはベイカーです。彼は私の前ではそんなこと(嘘)は言えないはずです」と述べています。

さて、ハニーとの対立状況の中、アダムスキーは自分に不信感を示していない協力者にのみ金星旅行(一九六〇年一二月)の報告書を翌年に郵送し、「しばらく公開しないように」と伝えていたため、ハニーは後年までその話は全く知りませんでしたが、「金星旅行も作り話だと思う」と述べています。のちの土星旅行(一九六二年三月)の報告書はハニーが不本意ながらもタイプしています。さらにアダムスキーは『写真鑑定と生年月日によるスペース・ブラザーズの未来鑑定、鑑定料五ドル』のビジネスを始めるので機関紙に案内を出すようにハニーに依頼し、「私は土星旅行中にそれを彼らから示されたのだ」と言ったそうですが、ハニーに拒否されると、今度は名刺を多数作成してサイキック円盤会議へ郵送させ、同時に複数のUFO関係誌に次のような広告を出させたといいます ―「スペース・ピープルはコンタクトを必要としている。あなたはその資格がありますか? 無料の詳細案内は下記へ」(これらの証拠資料は現存します)。またそのころ協力者たちに差出人不明の手紙が送られる出来事があり、そこには「アダムスキーは我々が地球上でサポートするただ一人の人物です」等の言葉と、アダムスキーがハニーに作らせた私書箱の住所が記されていました。アダムスキーはそれについて「最近入れ替わった新しいブラザーズはおそらくこれまでとは異なったやり方で我々を援助しようとしているのでしょう」と機関紙でコメントし、次の機関紙では「あの手紙は(自分が参加した)土星での惑星会議において計画されたもので、皆さんの謙虚さと誠意をテストするものでした」と説明しましたが、翌年の機関紙では一転して「あれはハニーとそのグループが送ったものです」と書いてハニーを驚かせています。この手紙の件でオセアニアの協力者たちが離れていきました。

⑤新しいスペース・ブラザーズ

ハニーやルーは、アダムスキーが「新しいブラザーズ」と呼んでいたのは催眠のプロの地球人か、非友好的な宇宙人ではないかと懸念し、彼が土星会議で頭に付けられたという「記憶植付け装置」は催眠器具を連想させるとハニーは指摘します。ただアダムスキーは土星旅行の後で「我々の太陽系の三つの惑星は地球に対して非友好的である」と述べており、さらにニセ宇宙人に誘拐されそうになった体験も語り、のちに本物の宇宙人より「彼らは宇宙活動の全てに精通しているが宇宙人ではない」と告げられたといいます(このような闇世界の地球人や非友好的宇宙人についてはメンジャーも宇宙人から警告を受けたと語っています)。アダムスキー支持者の多くは「彼はニセモノにだまされるような人ではない」と言うかもしれませんが、人間を神格化することの危険性をオムネクのマスターも警告していますし、信じる努力よりも知ろうとする努力の大切さ、つまり真理は科学であることをオムネクも説いています。またアダムスキー自身「私は気軽に人を信用しすぎるところがあるため、ハニーに仕事を任せてしまったのです」と機関紙で釈明していますが、もし本当にハニーにだまされていたのなら、巧みに「新しいブラザーズ」を装った者たちに接触された場合はどうなっていたのでしょうか。もしかしたらそれはイエスや仏陀も経験した「サタンの試み」であったのかもしれません。アダムスキーは、ハニーやルーシーがサイレンス・グループ(宇宙の真相を隠蔽しようとする地球規模の闇の支配勢力)のワナに陥った恐れがあると述べていますが、ハニーは州のプロ催眠術師の調査委員会の会長(催眠術師協会の副代表)でしたし、ルーシーは秘書を辞めた後もアダムスキーから復帰を求められています。またアダムスキーは晩年に至っても「ハニーは以前に政府情報部にいた」等の根拠の不明な批判文を協力者に送り、それに納得できない友人のルー・ツインスタッグをも批判し、ルーは悩んだ末に断腸の思いでアダムスキーと決別しています。なおサイレンス・グループの本拠地はスイスのチューリヒにあると当時から言われており、アダムスキーは講演旅行の際に悪質な妨害を受けています。のちの有名なコンタクティ、ビリー・マイヤーが会ったという宇宙人はアダムスキーを強く批判していますが、彼のUFO写真は地元のチューリヒで撮影されています。

ただアダムスキーがコンタクトする宇宙人グループが途中で入れ替わったということに関して少し気になるのは、ハニーが一九七九年にUFO研究家のティモシー・グッドに「ある時アダムスキーは、自分は一度だけ極めて重要な秘密を漏らしてしまったことがあると私に語った」と述べていることです。アダムスキーはスイスのルーに「もし極秘情報を漏らしたら、私は宇宙人から連絡を絶たれてしまうんだ」とも語っていました。また最後まで彼を擁護していたルーシーは「彼のエゴの増大のために最初の宇宙人グループは離れていってしまったのだと思います」と言います。アダムスキーは宇宙人のみならず政府からも多くの機密事項を守秘させられていたようで、「私の胸は秘密事項の墓場なんだ」とルーに漏らしています。常人には耐えられないような重圧の中で生きていた彼の心が少しばかり乱れることがあったとしても責められるべきではないでしょう。もしその苦悩を和らげるために宇宙人があえて距離をおいたのだとしたら、逆にそれが彼の心を不安定にさせてしまったのかもしれません。彼は一九六三年に四年ぶりに再会したルーに「今の新しいボーイズ(宇宙人の愛称)は、それまでのグループと入れ替わってやってきたと私に語った。彼らが何を計画しているのか私はまだ知らされていないが、遅かれ早かれ知らされるだろう・・」と語ったそうですが、その口調はまるで反抗的で挑発的な子供のようで、以前までの意気揚々とした自信に満ちた態度とは大きく異なっていたため、ルーは彼に抱いていた強い不安が現実となったことに寒気を感じたといいます。さらに彼は丁寧に質問をしてきた感じの良い聴衆に対しても軽々しい応答をして退席させてしまったこともあり、かつてはとても聞き上手で注意深い回答をしていた彼の変貌ぶりをルーは認めざるを得ませんでしたが、彼がリラックスした時には昔と同じ誠実で愛想の良いユーモラスな性格に戻ってくれたので安心したといいます。

⑥宇宙人が口を閉ざしたイエス・キリストの真相とは?

ハニーがアダムスキーのもとを去る数カ月前、ちょうど彼への不信感が頂点に達していた頃にハニーは宇宙人からコンタクトを受け、なんと相手はアダムスキーが宇宙船内で会った人物であったそうですが、後日アダムスキーが(当時ハニーと仲たがい中であったにもかかわらず)それを確証してくれたことにハニーは驚いたといいます。ハニーから沢山の質問を受けた宇宙人は「あなたの運命は世界の宗教を研究して説明することにあります」と答えたそうですが、イエス・キリストについての質問は「まだあなたは答えを受け取る準備ができていません」と却下し、ハニーはショックを受けたといいます。実は昔からハニーは「イエスの物語は古代の多くの救世主伝説の焼き直しである」と考えており、イエスの生涯とよく似た伝説(一二月二五日に処女から生まれ、暴君からの迫害を逃れ、やがて精神的指導者となり奇跡を行い、十字架にかけられて三日後に復活する話)が数多く存在すると言うのです。ただ確かに金星の女神イシュタルの復活伝説は古代シュメールの粘土板に刻まれてはいますが、イエスの生涯と酷似しているという他の伝説(インドのクリシュナなど)が本当に新約聖書の時代以前から「その内容のまま」存在していたかどうかは、ハニーの参照する著述家カーセイ・グレイヴズの『十字架刑にされた世界の一六人の救世主たち』(一八七五年。未邦訳)には明確に示されておらず、他の研究者の説の引用や推論が目立つため、多くの学者は信憑性を疑っています。グレイヴズや彼を支持する著述家アチャーリャは、救世主伝説は古代の太陽信仰に由来し、イエスの生涯も黄道上の太陽の動きに対応していると指摘します。つまり昼が最も短くなる冬至を過ぎた頃(クリスマスに)太陽は南回帰線で動きを止めて折り返して北上を始め(世の光イエスの降臨)、真夜中の地平線には処女宮(聖母マリア)があり、オリオン座の三つ星(東方の三賢者。ただし聖書には三人とは書かれていない)が金星など(ベツレヘムの星)に続いて東の夜空に現れ、やがて太陽は一二時に天頂に位置し(イエスは一二歳でエルサレムの教師たちの中央に座し)、三〇度ごとに魚座時代の一二宮を通過し(三〇歳から漁師の一二使徒を従え)、昼夜を等分する春分(十字架)を過ぎると昼が夜より長くなる(復活する)というものです。

実際にイエスの誕生日の一二月二五日はミトラ教の太陽神の復活日に由来するとされ、それは仏教のミロク菩薩と同様にインド・ペルシャ神話の太陽神ミトラに起源をもつとされていますが、クリスマス、復活祭そして十字架信仰が異教徒や他民族の祭事や古代の慣習から取り入れられたとされるのは四世紀以降のことですので、イエスが最初から太陽を擬人化した架空の人物だったと断定する根拠にはなりません(三位一体や聖体拝受などの教理や儀式も同様です)。ただし、見方を変えれば、「人体は宇宙の縮図」と言われるように、自然の摂理によって人間界にも太陽の役割を担った特別な人物が現れた可能性も全くの否定はできないでしょう。さらに外宇宙からの意思も働いたとすれば、地球の精神的な進化のために「キリスト物語」が他の惑星人によって演出されたこともあったかもしれません。一九一七年に十万人もの群集が目撃したポルトガルの「ファティマの奇跡」で空に現れた回転する太陽と聖母マリアが、UFOとそこから投影された立体映像であった可能性も考えれば、太古からの救世主伝説が地球人の啓蒙のために利用されたとしても不思議ではないでしょう。

ただ問題なのは、歴史書にはイエスや弟子たちが存在したことを示す信憑性の高い記述が残っておらず、暴君が国中の赤ん坊を虐殺した記録もないことです(「幼児」と呼ばれた異教徒たちが処刑された伝説はあります)。キリスト教徒がイエスの実在の証拠として挙げるヨセフスの歴史書(九四年頃)の『キリスト証言』は、ユダヤ人である著者が何の注釈も無くイエスをキリストと直接呼び、提督ピラトによる十字架刑から三日目に復活する奇跡を語る不自然さなどから、一般的に後世の加筆であろうと考えられていますが、別章の「洗礼のヨハネ」と「キリストと呼ばれたイエスの兄弟のヤコブ」についての記述が加筆かどうかは意見が分かれています。ちなみにイエスという名は一般的なもので、当時の歴史書には多くのイエスが登場します。また「キリスト」の語源は「油を塗られた者」の意味で、王に与えられた称号であったとされていますが、前章でのオムネクの説明(イエスは「ユダヤの王」、キリストは「真理を運ぶ者」を意味する)とは多少異なっているようです。

いっぽうタキトゥス(五六年頃~一一七年頃)の歴史書には「クリスチャンと呼ばれ大衆に憎悪されていた集団の呼び名の由来となったキリストなる者はピラトによって極刑に処された」とあり、続いて多数のクリスチャンが皇帝ネロに残酷な迫害を受けた様子が描かれていますが、初期のキリスト教著述家は誰もこのくだりを参照しておらず、ルカの使徒行伝にも大量迫害の記述がないため、これも後世の加筆と見られていますが、加筆にしてはクリスチャンを悪く書き過ぎているとの指摘もあります。イエスが唯一の神の子であるとローマ帝国に認められたのは彼の死後およそ三百年後のニカイア公会議(三二五年)においてです。また四大使徒のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが初めてイレニウス司教によって言及されたのはイエスの死から一五〇年ほど後のことで、使徒らによる福音書がイエスの死後二〇~六〇年後に書かれたというのは後世の人々の推測に過ぎません。

さらに各々の福音書の成立過程についても諸説あり、復活したイエスを目撃した証人たちの名も福音書によってまちまちです。また福音書が最初はギリシャ語で書かれたという定説が真実であれば、ユダヤ人の漁師であった使徒たちがギリシャ語を書けたのかという疑問も残ります。近年発見された死海文書は、ヘブライ語、アラム語そしてギリシャ語で書かれた古文書で、「神の子」メシアの到来を待望していたクムラン教団(紀元前一三〇年頃~後七〇年頃)が紀元前に記したものとされていますが、その教えには新約聖書との驚くべき類似も見られます。教団の創始者で「正義の教師」と呼ばれ一二人の信徒を従えていた指導者は神の啓示を受けた預言者とされ、悪徳祭司に迫害を受け(文献での記述の多さからこの指導者は実在したと見られていますが)死後四〇年後に復活してメシア到来の先駆けになると信じられていたため、彼が洗礼のヨハネもしくはイエスのモデルとなったのではないかと考える研究者もいます。教団が属していたとみられるユダヤ教エッセネ派はキリスト教の成立に影響を与えましたが、当時の三大ユダヤ教団の中でエッセネ派だけが新約聖書に登場しないため、イエス一族や洗礼のヨハネはエッセネ派クムラン教団にいたのだろうとの見方もあります。またローマ軍による占領(紀元前六三年)の少し前に投石刑に処された敬虔なユダヤ教徒のオニアスが正義の教師ではなかったのかとの推察もあります。

⑦イエスとアダムスキーの関係

興味深いことにアダムスキーは「現代の西暦は六一年遅れている」と(宇宙人と会見する以前から)指摘していますが、もしそれが事実なら正義の教師と洗礼のヨハネやイエスとの接点も見えてきます。また「周期の終わり」として今話題になっている「二〇一二年」の六一年前は一九五一年ですが、その翌年にアダムスキーは砂漠でオーソンと会見し、同じ頃にオムネクが地球に来ています。アダムスキーとオーソンが黙示録のヨハネとイエスであったという情報の真偽について訳者がアダムスキー財団代表のグレン・ステックリング(前代表の故フレッド・ステックリングの長男)に尋ねたところ、アダムスキーはオーソンと自身の過去世についての真相を彼らに語ったとのことでした(ただし当時グレンはまだ幼い子供でした)。

グレンは「これは公式コメントではなく、あなたを信頼してあなたの自己啓発のためだけに個人的にお話しすることです」と前置きして詳細を語ってくれましたので他言はできませんが、その内容の真実性を証明するものはありません。訳者がグレンに「イエスは本当に歴史上のどこかに実在したのですか? また彼の十字架刑にはスペース・ピープルから地球人への何かのメッセージがあるのですか?」と尋ねたところ、グレンはヨセフスの「キリスト証言」を信じているようで、さらに十字架刑はイエスが個人的な理由で敢えて受けたものであるとのことでした(その理由も前述の事情で公表はできませんが、オムネクの説明とは異なります)。

オムネクが金星で教わったというイエスの物語が実話であるか寓話であるか、またはその組み合わせであるかは受け取る側の判断によりますが、もし実話であれば彼女が言うように真実は「意図的に書き控えられたか、わざと翻訳されなかった」ために記録に残らなかったという可能性を示唆します。またイエスの復活が最初はアストラル体であったというオムネクの説明は、グノーシス派(一~四世紀)の「イエスは霊体として復活した」という思想にも通じ、復活したイエスを見た弟子たちが最初は本人だとは分からなかったという聖書の矛盾を解く鍵にもなりえます(グノーシス派はエッセネ派と共に新約聖書の成立に影響を与えながらも正統派キリスト教会から異端視されました)。いずれにしても、イエス・キリストの真相がハニーに明かされなかったことからは、オムネクも言うように宇宙人たちが地球人の学習と成長のプロセスに必要以上の干渉はせずに忍耐強く見守っていたことも伺えます。

⑧晩年のアダムスキー

宇宙人たちの姿勢はアダムスキーに対しても同じであったかもしれません。彼は心が多少不安定になっていたにせよ、精力的に講演旅行を続け、ローマ法王ヨハネ・パウロ二三世との会見や、友人のマデリン・ロドファー宅に飛来した円盤のビデオ撮影も成功させています。宇宙人からの手紙をアダムスキーから受け取った法王は「私はこれを待っていました」と喜び、病身にもかかわらず顔色は良かったそうですが、その二日後に急死し、新聞各紙は「なぜ手術が行われなかったのか」と疑問を呈しました。アダムスキーは強いショックを受け、「スペース・ピープルでさえ、法王の体にモルヒネを打ち続ける医者たちを止めることはできなかったのだ」とルーに語っています。ただこの会見に証人はおらず、バチカンの記録にもありませんが、建物の裏口からアダムスキーを招き入れた背広姿の男性をルーは目撃しています。ロドファーによれば同じ頃にアダムスキーは宇宙人たちに導かれてホワイトハウスでケネディ大統領とも秘密裏に会ったそうです。アダムスキーは世界中の米軍施設に出入りできる特別な許可証を持っていたといいますが、彼が聞いた話ではケネディは空軍基地で宇宙船の乗組員と長時間の会談をしたそうです。ローマ法王やケネディとの会見に客観的証拠はありませんが、法王からは当時まだ一般人が入手できなかったメダルをもらってはいます。

⑨真相は隠されていたのか?

アダムスキーの二度の欧州滞在を世話したルーは「彼に対する私の信頼は磐石のように強固」としながらも「金星・土星旅行はサイキックなものだと思う」と語っています。そこでもう一つの可能性として考えられるのは「新しいブラザーズ」は本当に新しい方向、つまりより進化した手段で援助をしようとしていて、それに慣れるまでアダムスキーは不安定な状態になっていたのではないか(または彼自身も試されていたのではないか)という見方です。また金星・土星訪問は「意識の旅行」(オムネクの言う魂の旅)ではなかったのかという意見もあります。それならば「土星滞在中(地球時間で四日間)の最低でも一日は彼と一緒に地球にいた」というハニーの証言とも矛盾しなくなります(訳者はハニーに当時の暦を見せて正確な日を尋ねましたが、四三年も前のことなので確定は難しいと言われました)。

オムネク自身はアダムスキーの金星・土星旅行の真相については「知らない」と語っています。『空飛ぶ円盤同乗記』(一九五五年)はゴーストライターのシャーロット・ブロジェット(UFO教育センターのシャーロット・ブロッブとは別人)が執筆し序文も寄せており、アダムスキーからの感謝の言葉も載っています。ところがハニーによると、最終原稿を送る段階でシャーロットの「純粋な勘違い」によってアダムスキーが決して言わなかったことが書き加えられてしまったといいます。それは宇宙人の出身惑星についてで、彼女は彼らの母星が金星、火星、土星などであると思い込んでしまっていたというのです。彼女はアダムスキーがコンタクト以前に出版した空想小説『宇宙のパイオニア ― 月、火星、金星への旅』(ゴーストライターは秘書のルーシー)を下地にしたのだろうとハニーは言います(両書は全体としては別内容ですが、部分的に類似点があります)。そして驚くべきことにアダムスキーはハニーに対して「金星、火星、土星というのは他の太陽系内のある場所を示すためのコード(符号)のようなものだ」と語ったというのです。しかし既に出版されてしまった著書の内容を否定するわけにいかず、アダムスキーは非常に不満を持ちながらも本の通りに主張し続けざるを得なかったというのです(ハニーがアダムスキーと出会ったのは出版の翌々年で、シャーロットと面識はなく、全てはアダムスキーから聞いた話だそうですが、ルーシーはこの件については何も聞いていないといいます)。

これはにわかには信じ難い話です。最初の体験記『空飛ぶ円盤は着陸した』(一九五三年。デズモンド・レスリーとの共著)には、砂漠での会見でオーソンは自分が金星から来たことを示すしぐさをしたとあります(この本のゴーストライターは、アダムスキーの友人で熱心な支持者でもあり、のちにコンタクティ機関紙の編集者となるクラーラ・ジョンです)。また実際にアダムスキー自身、「もし自分の会った宇宙人たちが他の太陽系から来ていると言っていれば、私の人生はもっと楽になっていただろう」とよく語っていたといわれ、土星旅行記では「我々の太陽系の各惑星の宇宙人たちは新しく発見した太陽系へ(地球人も含めて)既に百万人ほど移住している」とも述べています。これらについてハニー自身も矛盾を感じているそうなので、この「他の太陽系」発言について再度確認したところ、「彼は確かにそう言ったのだ!」と強く断言しました。またアダムスキーはハニーに「我々の太陽系にも人間が住める惑星がいくつかある。たとえば火星などだ」と語ったといいます。

そしてハニーが会った宇宙人たちは「月と火星の基地から来た」とだけ言ったそうです。いっぽうメンジャーは後年になってから「私は間違っていた。彼らは金星から来たとは言ったが、金星人だとは言わなかった。おそらく金星に基地を持っているのだろう」と述べています。これらの情報は真実か偽りかの二者択一の判断に絞られそうですが、もし当時は語られることのなかった「異次元」という概念が加わった場合、「別の太陽系の惑星」=「別次元の同じ太陽系の惑星」との解釈も可能かもしれません。単に他の太陽系の惑星の場所を示すためなら、なぜ我々の太陽系の惑星名をコードネームにするような紛らわしいことをする必要があったのかという疑問も生じます。現にアダムスキーは「宇宙人は各惑星を軌道番号で呼んでいる。名前で呼ぶと我々はよく間違えてしまう」とも言っています(ちなみに地球内部に地底人が住んでいる可能性について彼は異星人から「そのような非常に不安定な環境には人間は住んでいません」と聞いたといいます)。またアダムスキーはレスリーに「我々の現在の体のコンディションでは他の惑星の進んだ文明社会への訪問はできないだろう」と語っていますが、これがアストラル体を意味するとは限りません。実際、彼もメンジャーも地球人の体が月面の環境に適応するにはある程度の時間がかかることを伝えています。

ところが前述の光学物理学者シャーウッドはアダムスキーを回想する最近のインタビュー(聞き手はイタリアのコンタクティ、ジョルジョ・ボンジョバンニ)において次のように述べています ―「私がジョージ・アダムスキーから学んだ最も重要なことは、宇宙には我々と似た存在がさまざまな発達状態において暮らしているということです。彼は他の惑星には我々のような人間たちがいると思うのは妥当なことだと語りました。もし他の惑星、たとえば金星などの状態は人間の生存に適さないと考える時、我々は高次元というものについて何を知っているでしょうか? ジョージは我々が慣れ親しんでいるバイブレーションを超えたバイブレーションの世界が存在することを私に明かしてくれました。それらは触知可能な実体的なもので、彼はそれを光の波動にたとえました。光のスペクトルの両端の紫外線と赤外線は中央の可視光線と同様に実体的なものなのです。原子自体は全宇宙に共通しています。彼は他の不可視な実体世界に気づいていましたし、コンタクトは可能なのでしょう。それは全ての宗教の歴史における天使や悪魔と呼ばれる存在、つまり他の場所からやってきた生命体に関連しています。宇宙というものは我々の想像を遥かに超えた複雑なものなのです。彼はこのような宇宙の存在を私に明かしてくれました。それは私が実感していた以上に生命と可能性に満ち溢れ、あらゆる周波数、実体性、可視性そして流動性における進化の途上にあるのです」

⑩答えを受け取る準備

オムネクとアダムスキーの関連性を読み解く鍵はやはりこの「次元」の解釈にありそうですが、真相は多くの地球人が「受け入れる準備」ができた時に初めて明らかにされるのかもしれません。本書がその一助となれば幸いですが、オムネクは訳者に対して「私の話を日本の人々と分かち合うことで、あなたは世界のために偉大な仕事をすることになります」とその影響の重要性を語っていました。大切なことは、全てを鵜呑みにしたり頭から否定したりせず、また一つの見方だけですぐに決め付けようとせず、未知なるものをニュートラルな自然体で学び続けていくことではないでしょうか。ただ問題は今の私たちにどれだけ時間が残されているかです。晩年のアダムスキーは、体調を心配する周囲の声を振り切るように全身全霊で講演旅行を続け、倒れて運び込まれた滞在先の病院で急死しました。訃報を聞いたハニーは自身の機関紙の一面にアダムスキーの写真を掲載して哀悼の意を表し、多くの人は「反逆者」の意外な行為に驚いたようです。そしてやがて二周忌を迎えた日にハニーはスイスのルーに手紙で問いかけてきました ―「この日を迎えて、私はあなたの考えも聞きたいのです。私がアダムスキーから離れたことについて・・ あれから今までの全てのなりゆきを振り返ってみて、あなたは私が過ちをおかしたと思いますか? 彼のもとを去ってから、私がたいしたことを成し遂げてこられなかったのは確かなのです・・」 それはルーも自分に問いかけてきたことでした。アダムスキーがいなくなってから、心にぽっかりと穴があいてしまったと彼女は言います。彼女は「ハニーは反対勢力のワナにはまった」と非難する人々にずっと反論してきました。知性と洞察力を備えた青年ハニーがそのような状態に陥るなどとはルーは一瞬たりとも思ったことはないと言います。それはルーシーも同じだったはずです。ハニーは「彼女がテキサスで亡くなる日まで私たちはずっと親友だった」と言います。裏切り者と言われながらもアダムスキーの中の真実は認め続けてきたハニー、そして最後まで母親のような温かい目でアダムスキーを見つめていた今は亡きルーやルーシー、この三人が互いに深い友情で結ばれていたのは、誰もがアダムスキーのことを心の底では「愛すべき人物」と感じていたからなのかもしれません。訳者個人はオムネクにも同じような印象を持っています。読者の皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。

【追記】

訳者に貴重な情報を提供してくれたキャロル・ハニーが二〇〇七年八月に逝去しました。心からの哀悼と感謝を彼に捧げます。彼は晩年に文通相手のハーメスに火星人の情報を語っています。ハニーによると一九六〇年代に彼が住んでいた町のテレビ修理会社を所有する火星人がいて、その人物はシドニアと呼ばれる火星の地下基地から来ていたそうです。火星のシドニア地区と言えば、幾何学的に配置された人工構造物(人面岩やピラミッド)が集中する超古代文明の遺跡のようなものがNASAの写真に見られる場所です。

エッカンカーとオムネクについて

前述の小柄な青い瞳の男性とは、米国のエッカンカーの創始者、ポール・トゥイチェルであるという。少し長くなるが、エッカンカーとオムネクの関係は重要なことであるので、ここで説明をしておきたい。エッカンカーとは、「神の共働者(コワーカー)」の意味で、ヒンドゥー語で一(いち)を表す「エク」と神を表す「オンカー」から由来した名前とも言われる。ポールによれば、それは六百万年ほど前にマスターたちがソウル・トラベル(魂の旅)によって金星都市レッツからチベットに伝えた教えを伝授された彼が一九六五年に現代社会に再びもたらしたもので、彼の前に九七〇人のマスターがいるという。オムネクが地球に来て十数年後に結婚した夫がエッカンカーの生徒であり、やがて母となった彼女は夫のたび重なる勧めで一九六九年に初めてセミナーに参加したが、まだ赤ん坊であった長女の泣き声が邪魔にならないようにと会場の最後列に座っていた。

その時、当時はまだシーラと名乗っていた彼女に「ハロー、オムネク!」と(彼女以外には誰も知らないはずの)本名で声をかけてきて彼女を驚かせたのがポールであり、その瞬間、彼女は金星で彼と出会っていた記憶を呼び覚ましたという(訳者が彼女に確認したところ、一九九一年までは決して誰にも「オムネク」の名前は教えていなかったそうである)。また彼女に本を書くように勧めたのもポールであった。彼や妻のゲイルと家族ぐるみの親しい仲になったオムネクであったが、一九七一年のある晩に一家でポールの滞在先を訪ねた際に、その少し前に彼が急死したことを聞き、大きなショックを受けることになる。ただしオムネク自身は現在に至るまで一度もエッカンカーの組織に属したことはない。

ポールによれば、彼は父親の婚外子として養子に迎えられ、父親は欧州旅行中に出会ったインドの聖者から体外離脱の瞑想を学び、ポール自身は一六才の時(一九二〇年代)に留学予定の姉と共にパリに行き、さらに二人でインドを訪問し、父の導師である聖者のもとで一年ほど過ごしたというが、確認できる記録としては、彼は一九五〇年から五年間、首都ワシントンにあるインドの自己実現フェローシップで学び、その分派の導師が一九五五年に訪米した際にイニシエーション(秘伝の伝授)を受け、その後その導師と一〇年間文通を続け、それらの教えや神智学および宇宙発生論などについての自身の幅広い研究と洞察を複数の専門誌に寄稿して好評を得ると共に、世界的作家のロン・ハバードの宗教哲学サイエントロジーにも学び、その機関誌に短期間だけ記事を書いていた。ただしポールは彼独自の多くの新しい解釈や教えを説くと同時に、著作が増えてきた時期には過去の他人の著書から多少の無断借用や改変もしており、また彼オリジナルの「睡眠中の夢の活用」に対してインドの導師が異論を示したために、以前の自分の寄稿文から導師の名を削除・変更したため、「ポールは嘘を書いている」と批判する人たちもいる。この件につき訳者がオムネクの見解を求めたところ「私はコメントをする立場にはいませんが、真理とは誰かが独占すべきものではありません」と語っていた。訳者が調べた限りではポールがレッツについて書物で初めて触れたのはオムネクと(地球で)出会った一九六九年のようであるが、オムネクによればその際にポールから、彼がマスターのリバザー・ターズと共に「魂の旅」でレッツとチュートニアを訪問した話を聞き、マスターから「オムネクはエッカンカーの将来において重要になるだろう」と告げられたポールは「私と一緒に働かないか」と彼女に尋ねたという。

ポールの言う「魂の旅」は、アダムスキーの説く「意識の旅」を思い出させる。アダムスキーは意識の旅で火星を訪問したと述べており、初めて宇宙人とコンタクトする三年前の一九四九年には、他の惑星を訪問する小説『宇宙のパイオニア ― 月、火星、金星への旅』(邦訳 『地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい』徳間書店刊)を出版し、その序文で「これは現時点ではフィクションであるが、科学の進歩は急速なので、やがて現実になるであろう」と語っている。またそれ以前から「ロイヤル・オーダー・オブ・チベット」と称する教えも説いていたために、それらをもとにアダムスキーは『空飛ぶ円盤同乗記』を創作したのではないかと疑う研究者もいるが、ポールもアダムスキーも感覚的な知覚能力を用いて遠隔地の情報や精神的な啓蒙を受けていたのだとする見方もある。

事実アダムスキーはコンタクトの十カ月ほど前に文通相手のエマ・マーティネリに宛てた手紙で「私はこれまで宇宙人と物理的に会ったことは一度もありませんが、『宇宙のパイオニア』を読んだあなたには、私が彼らやそのホームランド(訳注 出身地または居住地)について得た情報がお分かりでしょう」と述べており、さらに六年後にはUFO研究家のレイ・スタンフォードに「私は宇宙船について知るためにわざわざ宇宙まで行く必要はないんだ。『宇宙のパイオニア』が全てを物語っている。私は自分の意識を対象物に投影すれば宇宙船の内部が分かるのだ」と語っている。

ポールがマスターとなってエッカンカーを創始したのは、奇しくもアダムスキーが亡くなった年である。エッカンカーでは、人が最も自然に神のもとに戻る方法は個人の体験であると説き、どのような宗教を持っていようと、自分自身の内部に指針を見出すことが大切であると教えている。実践としてはシンプルな瞑想(アストラル投影や魂の旅)及び睡眠中の夢から英知を受け取ることを奨励している(夢の利用はインドの教えには無かったものである)。オムネクによると、エッカンカーの教えは地球が存在する以前からあり、金星の教えでもあるので、ポールはエッカンカーを宗教にはしたくなかったそうだが、税金対策等のために後に宗教団体となったという。彼が急死する三年前、オムネクはラスベガスでのエッカンカーの世界大会での講演を依頼されたこともあったという。講演とは聴衆と一緒に腰掛けて精神的な体験を話し合ったり質問に答えたりするスタイルであった。そしてオムネクはポールに依頼されてエッカンカーの刊行物の原稿書きも手伝っていた。また彼女はエッカンカーにおける第七段階のイニシエイト(秘伝を授かった者)と認められており、組織が大きくなりポール一人ではイニシエーションができなくなっていたため、他の第六、第七段階のイニシエイトたちと共に初心者にイニシエーションを施してもいたという。ポール亡き後も、彼と行動を共にしていたエッカンカーのメンバーたちはオムネクに一九八五年のシカゴでのセミナーで講演をしてほしいと依頼し、彼女はそれを楽しみにしていたが、会場の入り口で「会員証」を持っていないという理由で門前払いされてしまったという。それ以降、彼女はセミナーには一切参加していない。

オムネクの話とエッカンカーの教えには共通点が幾つかあり、個人の経験の重視、階層世界、五つのネガティブな情念、アストラル投影と魂の旅、「HU」のマントラ、そしてマスターたちについての説明も似通っている。当然のことながらエッカンカーの生徒たちもこれらの共通点に気づき、セミナーの後にホテルのロビーでオムネクを囲んで質問を投げかけてきたという。オムネクはポールのセミナー以外で自分のことを語ることをしなかったが、彼女が金星から来たという話を聞きつけた新聞記者の女性が取材を申し込んできた際にそれを断ったところ、勝手に捏造記事を書かれてしまったことがある。しかしオムネクは町の人々が彼女の方を見て笑ったり、ひそひそ話をしたりしていることに気づいて初めて記事のことを知った。記者の女性は上司に記事を約束してしまっていたため、偽の記事を書くほかなかったのだという。オムネクから抗議を受けた女性記者はその後オムネクとポールに正式に謝罪し、やがてエッカンカーの生徒になったそうである。

   

オムネクによれば、ポールは亡くなる前に彼女に対して、彼の後継者はシカゴの若いグループの中から選ばれることになると語っていたという。当時、第七段階のイニシエイトは五人ほどおり、マスターの継承の儀式は過去何千年にも渡って行われてきたようにチベットのタイバーの谷で催されることになっていたが、その前にポールは急死してしまった。死亡診断書には「動脈硬化症心臓病」と記されているが、前年のスペインでのセミナーで飲み物に毒を盛られ、その後体調を崩して亡くなったというのが現在のエッカンカー側の見解である。オムネクが当時聞いた話によれば、ポールは心から信頼していた妻のゲイルがダーウィン・グロスというエッカンカーの男性と不倫関係にあったことを知って強烈な心臓発作を起こして亡くなったという(ゲイルはダーウィンを後継者に指名し、後に二人は結婚そして離婚する)。ゲイルはポールよりも二〇歳以上年下の博学な女性で、ポールへの献身的な態度によって生徒たちからも愛される存在であったという。ポール自身は年齢差を気にしており、夫婦になることにはためらいがちであったが、長年彼に付き添って活動をしてきたゲイルの決意による結婚(ポールにとっては再婚)であったという。

ポールの突然の訃報を聞いた晩、オムネクはいまだに信じられない想いで体を震わせながらホテルの自室に戻ったところ、そこに魂となったポールが姿を現し、それはまるで生きているかのような姿であったという。オムネクは驚きのあまり腰が抜けそうになったが、ポールは「怖がらないように」と穏やかに彼女を諭し、「私はエッカンカーの団体を創設したことを後悔しています。いまやそれはコントロールを失ってしまったからです。私が後継者に選んだ人物が知られることは決してないでしょう」と語り、さらにゲイルの裏切りは彼を非常に苦しめ、その不貞行為によって彼の魂までもが傷ついたと語ったという。そしてポールはオムネクに向かって次のように言った。「私はあなたのためにカセットテープを残していますが、あなたがそれを聴くことは決してないだろうと思います。だから今こうやって、あなたと私の関係は全て良好であることを伝えにきたのです。私はこれからもあなたのことをサポートし続けます」(実際にオムネクはテープの存在については確認できたが聴くことはできなかったという)。

ポールの突然死と同時に彼女にさらなるショックを与えたのは、彼の後継者にあのダーウィンが選ばれたことで、まだ入会して一年ほどの彼が指名されたことは多くの生徒たちをも非常に驚かせた。オムネクはポールから次回に第二段階のイニシエーション(初回は入会時、第二段階は二年後)を受ける生徒のリストをもらっていたが、ダーウィンの名前もその中にあった。彼が新しいマスターとなったことを告げる宣言を聞いたオムネクは、そのリストの紙をくしゃくしゃに丸めたという。その後ダーウィンはオムネクに対して軽蔑的な態度を取り、彼女がラジオのインタビューを受けるかどうかを気にして周囲につきまとい、彼女がマスターたちの名を口にすると文句を言い、エッカンカーの名前を出さなかった場合は抗議文を送ってきたという。彼女がポールから依頼されていた原稿を渡した際も、彼の取り巻きの幹部によって黙殺されたそうである。

ダーウィンはその後十年ほどマスターを務め、現在のハロルド・クレンプを後継者に指名した後、資金流用と商標権侵害を訴えられてエッカンカーを離脱している。その際に彼はオムネクに助けを求めてきたそうだが、彼女は「なぜ私があなたを助けなければいけないのですか? 教えについては私の書いたものを読みなさい」と言ってとりあわなかったという。彼女によればダーウィンはポール亡き後に生徒の間で彼女の人気が高まってきていたことを感じていて、彼女がダーウィンを新しいリーダーとして認めていないことも察していたために、彼女のやることなすこと全てにあら捜しを始めたという。現在の指導者のハロルドについてはオムネクは次のように語っている。「私はハロルドがマスターに選ばれた経緯は知りませんが、私は何年も前に彼にシカゴで会いました。彼は素敵なカントリーボーイで素晴らしい人物です。ただ後に私が丁寧な手紙を添えて私の二枚組のCDを彼に贈呈した際には何の返事もありませんでした」 オムネクや元生徒に訳者が聞いたところでは、エッカンカー全体としては彼女を歓迎してはいないようだという。

日本ではエッカンカーはあまり知られてはいないが、オムネクとの共通点に日本の読者が気づいて戸惑うことがあってはいけないので、訳者から彼女に説明を依頼したところ、「エッカンカーと私の関係を説明するのはとても難しいことですが、あなたの熱心さと綿密な姿勢に感謝します」と言って前述のことを語ってくれた次第である。オムネク自身「私は完璧な英文が書けるほど十分な教育を受けていないのです」と訳者に語っていたが、実は彼女の最初の著書は彼女への長時間のインタビューをレイナーというエッカンカーの若い男性がまとめたものである。

彼女はまた、金星で学んだ真理を地球の言語に置き換えたと本書でも述べているが、テレパシーを主な伝達手段とする世界のことを英語で伝えるには、実際にはエッカンカーの用いる表現や呼称に頼らざるを得なかった部分もあったのではないかとも推察される。事実彼女は「ポールは私のマスターでした」と語っているので、彼から学んだ教えを自著で説いていても不思議ではない。ただ著書には「リバザー・ターズはペダー・ザスクとダップ・レン(訳注 ポールとダーウィンのスピリチュアル・ネーム)が現代社会での任務を遂行できるように直接訓練していました。彼は至高なる神性の法則を教えていました。彼は今後の数十年間において地球の精神的な覚醒のためによりオープンに活動していくことでしょう.」という追加文があり、これはオムネクがダーウィンについて訳者に語ったことと矛盾するので本人に確認したところ、「私はそれについては知らないのです」との回答だったので本文からは除外した。おそらく当時(ダーウィンが指導者だった七〇年代に)レイナーが加筆したものと思われる。彼女のドイツの友人によればオムネクは相手を傷つけたくないために、めったに他人を批判しないそうである。彼女の二冊目と三冊目の本はドイツで出版されたが、彼女は「私の言葉がドイツ語に訳される過程で多くのものが失われてしまった」と訳者にもらしていた。地球の言語間ですらそうなのだから、ましてや異次元世界の概念を物理的世界の言葉で伝える際には、かなりの制限が課せられてしまうであろうことは想像に難くない。その距離感が彼女とエッカンカーの間にもある可能性も念頭に置いておくべきかもしれない。

※ジャーナリストの深月ユリアさんのFMラジオ番組で、オムネク・オネクについて語りました。2022年7月9日放送分 LINK (リンク切れの場合はこちら