今から80年ほど前のこと
青年は8人の兄弟姉妹の中で特殊だった
心優しく正義感が強く敬虔なクリスチャン
父親は満州で財を成して女を作り時々帰宅するだけ
青年は父に向い「お母さんを大事にしてください」と訴え
「生意気を言うな!」と平手で張り倒された
末娘のK子は兄弟姉妹から軽く扱われていたが
青年はことさらK子を可愛がってくれたとK子から聞いた
K子は晩年に病で意識を失う前に兄の名前を呼んだという
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青年は成績優秀で将来は小説家を目指していた
同じく作家志望の親友Aは
「彼にはかなわない」と青年の才能を認めていた
しかし青年は東京から長崎へ移り、医学部へ進学した
戦地へ送りたくないという母の願いを受け入れたのだ
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故郷の母へ送った青年の手紙が残っている
「お母さま、今日は学友たちと川辺の原っぱに寝そべって
皆で大声で歌をうたいました。これが青春なのですね」
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それからほどなくして
悪魔の閃光が長崎の空に炸裂した
小説家を夢見ていた21歳の青年の命は一瞬でかき消された
母親は長寿を全うしたが
息子に起こったことに直面することがどうしてもできず
最期まで長崎の地を訪れることができなかった
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私は青年の遠い親族にあたるが
会ったこともない彼にあまり興味はなかった
ただ彼を絶賛していた親友Aが芥川賞作家であることは誇りに思えた
親友Aは青年の命日にいつも母親の家を訪れ
白い花を捧げていたという
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私は決して穏やかな人間ではなく、むしろ荒っぽいが
なぜか平和への深い願いが幼少時から心の奥底から湧いていて
友達と小さな平和推進のNPO法人を創設した
なぜか私はその設立登記を平成12年12月12日にしたかった
つい最近になって知ったのだが
青年の誕生日は大正12年12月12日だった
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私は十代のころはカソリックの神父になろうと考えていた
教会に失望して断念したが、教会をモデルにした私小説を出版した
最近になって青年が遺していた小説を目にする機会を得た
ロシアの教会が舞台となっていたが
不思議なことに文体が私となぜかよく似ていた
生前に私の小説を読んだ青年の妹K子も不思議そうに言った
「あなた、兄さんの生まれ変わりじゃないの?」
でも私は青年のような優しい人間でもなく
青年のような美しい顔立ちもしていない
ただ、K子が癌になったとき
私は抗がん剤を拒否させ、ある方法で癌を完治させたことがある
癌が消滅したことを受けて担当医は
「じゃあ癌じゃなかったのかもね」とシラを切った
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私はイラストレーターでもあり、タヌキのイラストを得意としていた
私がイラストを提供した英語の教本をK子に見せたときに言われた
「不思議ね。兄さんもタヌキのイラストばかり描いていたの」
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私は体を焼き尽くすような真夏の暑さが苦手だ
しかし暑さから逃げることが嫌いで立ち向かいたくなる
酷暑の中であえて運動して熱中症になったこともあった
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私は戦争の愚かさを心の底から憎んでいるが
核兵器の廃絶が平和につながるとは思っていない
核兵器は人を殺したりはしない
それを使う人間が人を殺すのだ
自分を守る恐怖心のために相手を悪者だと思い込むことで
自分の弱さを正義感と置き換える
そういう人間の愚かさが戦争を引き起こす
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平和のためには人間の愚かさを変えるしかない
そのためにどうしたらいいのかは分からないが
平和のためならいつでもこの命をくれてやる
その思いは永遠に変わらない